関の刃物


今日は、午前中、関市と美濃市を訪問した。それぞれ、観光について現地調査が目的だ。最終目的は、8月9日に「岐阜の観光」について講演をする予定であるので、その資料集めだ。

さて、関市に向かう。ナビで、関鍛冶伝承館(せきかじでんしょうかん)を登録する。しばらくすると、目的とする伝承館が見えてくる。まず車をとめて入場する。入場料は300円である。

一階の入り口近くに刀を打っている等身大の人形がある。一本一本、手造りで丹精込めて製作している様子が分かる。写真をパチリ。

刀製作の等身大の像

奥には日本刀が並べてある。先日、小説『丹下左膳』を読んだ。この数日『大菩薩峠』を読んでいる。それぞれに、丹下左膳、机龍之介というニヒルな感じの剣豪が登場する。主人公たちは日本刀の使い手である。日本刀は簡単に振り回せるものか。日本刀の重さが分かる展示があった。柄が持てるようになっている。握って持ち上げてみる。うーん、思ったよりも軽い。

本物の刀

説明によれば、だいたい1000グラムの重さだそうだ。松井選手の愛用のバットが910グラムの重さなので、1000グラムぐらいならば、振り回すのは問題ないか。しかし、数時間もかけての戦いは重そうだなと感じた。ただ、辻斬りをするには、時間は一瞬であるから、重さはあまり負担にならない。

次に関の孫六(せきのまごろく)の製作したという刀を見る。下の画像を見てほしい。つや光りはどうだろうか。

関の孫六製作の名刀

関の孫六と聞くと、『丹下左膳』に登場する乾雲丸(けんうんまる)・坤竜丸(こんりゅうまる)という二つの妖刀を思い出す。この妖刀を作ったのが、関の孫六である。なお、これは小説上の話しで実際にそのような刀があるわけではない。しかし、丹下左膳が持ったのは、この刀かと想像するのは楽しいことだ。

他国の刀の比較のコーナーが面白かった。中国の青竜刀は大きくて、あんな大きな刀を振り回すのは、機動力が欠けてかえって不利ではと思った。また、西洋の刀は、切るよりも相手を叩きつぶすという目的があって、かなり頑丈で重たくできている。それに対して、日本の刀は切ることに重きを置いている。刀さえもこの様に考え方が異なる点は面白いと思った。このあたりも、実物を見てなるほどと思った。

日本刀と西洋刀の比較

一番上はロシアのコサックのかなた、次は中国の青竜刀、下は日本刀

ここで、外に出ると、次のような文言がある。見づらいと思うが、「宣言」である。「関市よりも西を関西、東を関東とする」と宣言してある。これは歴史的な事実はそうではないと思うのだが、どうだろうか、一般には関ヶ原とか不和の関の西が関西で、箱根の関の東が関東であると思うのだが。

さて、次は刃物会館に行く。入場は無料だ。刃物の即売をしているのだ。草刈り用の鎌を買おうと思った。一万円ぐらいだと立派な鎌が買えそうだ。スコップだと240円などの値段が付いている。石川県の自宅の庭の草を刈るので、石川県のコメリで買おうと思うのだ。

次はフェザーミュージアムに行く。入場は無料だ。ここは、フェザーというカミソリのメーカーのミュージアムで、カミソリと精密刃物を展示する世界初の刃物の総合博物館だそうだ。

フェザーミュージアム

カミソリ製造のマシン

カミソリの製造過程が分かって面白かった。肝心の所は、写真撮影禁止となっているので、撮影できなかった。カミソリといっても年々技術の進歩はすさまじいということだ。いかにして、切れ味のよい、そして安全なカミソリを作るか、技術者達が苦労している姿が分かってよかった。

さて、お腹がすいたので昼飯にすることにした。能州関所茶屋で食事を取ることにした。これは関鍛冶伝承館の横にある建物だ。中に入って。「九種の小鉢」なるものを注文する。ご飯の量は少なめだ。これは私のようなシニアには有り難い。小さな皿にいろいろなおかず、多くは地物の野菜、漬け物であろう。850円だ。美味しい。満足した。本当は夕食で、日本酒を飲みながら小皿をつまめばよかったが。

九種の小鉢

能州関所茶屋(食堂)

関市の旧繁華街とおぼしきところを通る。ほとんどの店がシャッターを下ろしている。人通りも絶えている。昭和の30年代、40年代は大いに栄えた通りのようだ。今では、この通りはすたれている。町の再生の秘訣は、と多くの人々が頭を悩ますが、簡単なことではない。

次に美濃市に向かう。目的は和紙の調査である。ブログの容量が重くなったので、ここでいったん閉じて、次の記事に詳細を述べる。

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