3月15日と16日の両日、実家に行って地震の程度を調べた。結論的に言うと、思ったよりは被害の程度は軽かった。外壁が落ちていたり、天井が剥がれていたり、屋根の瓦が落ちていたりしていた。軽微な損害というところか。ただ、墓地は大変な状況で、我が家のお墓は完全に壊れていた。でも、親戚の人がカバーをかぶせていてくれて、水が墓石の中に入ったりはしていなかった。
まず、15日のお昼頃に実家に到着した。周りの家も大体大丈夫で、所々にブルーシートをかぶせている家が散見される。家の入り口はカギをかけていたが、カギがはずれていて、もう自由に出入りができるようになっている。でも、泥棒が入ったとしても中はゴミだらけで、貴重品は何もない。ただ、家族の写真だけは取っておきたいと思ったが、アルバムなども水に濡れてしまったようだ。
母屋は大体の形は保っていた。ただ、屋根の瓦はいくつか落ちている。幸いなことに、窓ガラスはどれも割れていなかった。ただ、地震の影響である程度は窓は開いてしまい、雨や雪はかなり入ってしまっていた。部屋の中は濡れてしまい、本などはかなりやられてしまった。
納屋はだいたい問題なかった。ただ、1階の私の書斎は本箱がくずれてしまい、散々な様子だ。2階は亡父の本が置いてあったのだが、これも崩れてしまい、この日は片付けるかでの時間はなかったので、来月でも来て何かしようと思っている。さて、土蔵のほうだが、屋根の形が歪んで、左側に落ち込んでいる。中に入って調べたりはしなかった。
ところで、母屋の2階の洋間だが、天井が崩れていた。瓦が崩れているので、ここから雨漏りがするのかなとも思ったのだが、この日は確認できなかった。
さて、今後どうするかの話しだが、私も結論が出ない。父母が健やかに過ごしていた日々を思いだすのだが、もうここの保持は無理かなと思ったり、いや頑張って補強してみたいと考えたりもする。ただ、家の解体は無理にしなくてもよさそうだ。今年いっぱいは様子を見て、それから決めるかな。墓はでも修復はしたいと思っている。
次の日は、穴水町まで行ってみた。里山街道はひどく破損していて、低速で運転せざるを得なかった。徳田大津からは往路は開通しているが、復路はまだ修理中だ。復路を見ると大変な地震であったことが分かる。所々、隆起していたり、陥没していた。そして、穴水町は七尾市よりもさらにひどい状況で、完全に崩れ落ちた民家もいくつかあった。穴水町は震源地に近いから、地震の程度はひどかったと思う。
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