昔のことを急に思い出す。


春休みである。でもポツリポツリと仕事がある。それらの仕事が溜まっていく。一番心配しているのは見落としがあることだ。時々は書類提出の締め切りが明日だと気づいて大慌てになることがある。

そんなことがないように、行わなければならない仕事は紙に書き出して横に締め切り日を書き込んでおく。そして、終わった仕事は横棒で取り消して一件落着だ。でもこのところ、ある仕事にかかりきりになり、そのリストに書かれたの仕事の数が増えてゆく。

リストに書かれた仕事の数が増えてゆくのはストレスである。昨日は、午前中は春季の課外授業で2コマほど授業した。午後からは数時間かけて文科省に提出の書類を作成していた。肩が痛くなる。腰が痛くなる。ふと外を見る。雨が強く降っている。こんな日は、本当は自宅のソファで横になっていたい。

40年ほど前を思い出す。あの頃は会社員だった。自分のペースで仕事ができなかったことが辛かった。それに自分は性格的に会社員が向いてなかったので、それも辛かった。仕事が急に来たりする。遅れると怒鳴られたりした。職場では、みんな残業しているフリをしていたので、定時には帰れなかった。

長い通勤時間も苦痛だった。満員電車に乗って都心のビルまで行く。若いから、長時間の通勤でも体力的には平気だったのだが、中高年になってから長時間の通勤はきついのではないか。

自分はその時の経験から、アパートを借りる時はできるだけ職場の近くにしている。以前、京都で働いていた時は、歩いて25分ぐらいの所にアパートを借りた。今は歩いて60分ぐらいだ。急ぐ時は車を使うので、その時は10分前後で職場に到着だ。

中高年になっても。長時間電車に揺られて職場にゆく人がいる。1時間を電車の中で立ちつぱなしなのだ。わたしは今は徒歩で1時間ほど通勤しているが、基本的には楽しい。寒い日や雨の日もあるが、自然を見ながら、時々は動植物の写真を撮ったりして、そしてブログの内容を考えたりして楽しみながら歩いている。

会社員たちは電車の中でつり革を握りながら、長時間立っている。何を考えているのか。運良く座れることもある。あの頃はそんなものだと思っていたから疑問に思わなかったが、よくあんな通勤ができたものだと思う。自分が利用していたのは満員電車で有名な東武東上線だ。本当に混んでいた。ぐったりと疲れてしまう。痴漢も多くて女性たちは大変だったろう。池袋に到着して地下鉄に乗り換えると混雑は緩和された。それから数十分ほど地下鉄に乗って、新橋にあった職場にゆくのだった。

職場の課長は、鳩山ニュータウンに家を買って東松山から通っていた。あの当時は鳩山ニュータウンが新しく開発された。その団地はモダーンで比較的に大きな住宅が多かった。綺麗で大きな住宅なのだが都心から遠すぎる。あんな所から通う人がいるのかと思っていたら課長が通っていたのだ。

課長が生きているとしたら、90歳ぐらいか。存命ではないだろうな。課長は実直な人で、コツコツと仕事をする人であった。そして、やや地味な感じの人であった。長時間かけて通勤して、遅くまで仕事をしていた。しかしある時期、左遷させられて子会社に飛ばされた。子会社は川崎にあるので、膨大な時間をかけて、そこまで鳩山ニュータウンから通勤するようになった。

あの課長の人生は何だったのか。会社に忠誠心を示して長時間労働をしていた。家族のために埼玉の奥地に家を買って、そのローンの返済にいそしむ。。。。。などと人の心配をしている場合ではないのだが、ふと、課長のことを思い出してしまった。

ブログを書いていたら、急に昔を思い出した。さて、今日はお昼すぎに会議があるのだ。朝は郵便局に立ち寄って、それから会議の資料を準備して、会議に臨むのだ。

zheng2088 / Pixabay

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