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自分は今は68歳である。教員になったのは27歳の時であるから、もう40年以上も教員生活を続けてきた。それは40回以上も卒業式、入学式を経験してきたことを意味する。
入学式で、若い人たちがたくさん入ってくる。そして3年から4年の間に若い人たちは大きく成長する。大学の教員になってから気づいた点は、1,2年生はボーツをしていた学生が、突然変異というか、急にやる気を見せて変身する例がかなりあることだ。
チャラチャラしていた学生が突然に難しい本を読み始め、欠席してばかりした授業に皆出席となる。20歳前後は、そのような精神的な飛躍を見せる学生が、一定層いる。もちろん、ほとんどの学生は多少なりとも成長しているのだが、その成長が著しい層は5%ぐらいいるのではと思う。
さて、著しい成長を見せた学生も、表面的にはほとんど変化がなかったような学生も、とにかく4年後は卒業する。卒業すると学生たちとは連絡がなくなってしまう。学園祭などに再び訪ねてくれるOB・OGがいるが、卒業してから住所が変わると、学園祭の案内なども届かなくなる。
私の40年以上の教員生活の中で、多くの若い人と3~4年ほどの期間、接点があったわけだ。そして短い接点の期間は過ぎ去って、卒業式で送り出してゆく。その人たちとの接点は消えるわけだ。
多少なりとも自分と縁があった人々、今は何をしているのか。人生の荒波を無事に乗り越えているのか。
自分が担任となったある高校一年生のことを思い出す。彼は高校一年生の時は普通だったのに、高校三年生になったらおかしな風に変貌した。普通は成長するのに逆に不気味な人間に退化した。多分、家庭環境が影響したのだろう。卒業後にクラスでの飲み会があったが、その子はたまたま私の横に座ったが、彼の話は非常におかしなものだった。高校一年生の時は、普通な生徒が数年後は不気味な存在になったのだ。一体何があったのか。明らかに闇を抱えていた。その男の子は卒業後に自殺をした。
そんなことをふと思い出した。教員の中には生徒や学生の抱える闇と正面から向き合う人がいる。そんな教員との出会いを通して、若い人の中には自分の闇を乗り越える例もある。
それが教員の本来のあるべき姿なのだ。でも、私はとにかく鈍感である。とにかく人間関係に鈍感である。ある人物が私に好意を抱いているのか悪意を抱いているのかさえも、分からないことが多い。自分自身は、それで助かっている部分もあるが、教員としては他人への共感が十分にできない点は問題だと思う。生徒や学生たちの抱えている闇の部分にまったく気づかないことが多い。でも、あの自殺した生徒はどんな闇を抱えていたのか。
大学教員になってからのことだが、自分がゼミ担当したある学生が、よく研究室に来て何かを訴えていた。今はどうしているのか。風の便りに、その学生は親御さんのところでニートとして生きているとも聞く。その子に対しても自分は何の力にもなれなかったな。
入学式、卒業式、出会い、接点、心の闇、鈍感力、教員としての無力感 そんなことを今日は語りたかったのだ。
ご無沙汰しております。多忙だったため、まとめ読みしています!高校の時、わたしにも闇があったような、無いような・・・勉強できなかったですからね。でも2年の時に先生が担任になって、学校生活は楽しかったです。2年生の時の思い出が一番ありますしねぇ。まあ、わたしは先生が担任であったから今の自分があると信じています(笑)
I 君にも心の闇があったのですか?ふーん、そうかな。そう言えば、I君は本を熱心に読んでましたね。四柱推命か九星気学の占いの本だったと思います。遠くからその姿を見たときは、I君の心の闇を垣間見たような気がしました。 ところで、2年1組は楽しいクラスでしたね。