息子の引っ越しの手伝いをした。


次男が引越しをした。次男は大阪でシエアハウスに住んでいた。勤めていた会社で正社員となり、給料が上がり、ボーナスも支給されるようになったので、ワンルームマンションに住むことになった。数年前に、息子が大学生でアパートで一人暮らしをするようになった時は、私も不動産契約に付き合ったが、今回は息子は一人で不動産屋をまわって自分で住むところを決めて契約をしてきた。吹田の近くの古いワンルームマンションだ。

引越しには荷物を運ばなければならない。シエアハウスにあった荷物、岐阜の我がアパートであづかっていた荷物を、私のアクアで運ぶ。後ろに目一杯荷物を積む。今は、コロナのために、不要不急の外出を自粛するように言われているが、息子の引っ越しの手伝いなので、岐阜と大阪の往復は許してもらえるだろう。

高速道路を走って気づいたことは、走っている車は少ないこと、SAの売店、レストランもガラガラであること、などだ。数年前に同じように息子の引っ越しの手伝いで高速道路を走った時は、SAは混んでいて、特に中国人観光客らしい人の姿が大勢見られたのだ。今は、ガラガラだ。

コロナで大損害を受けた国、老人ばかりの国、日本の将来は明るくない。いずれは昔のように貧乏国になるだろう。若い人は欧米に出稼ぎに行くようになり、その人々の仕送りで、残された家族たちがやっと生きてゆく。そんな国になるだろう。

私が生まれた時は、日本は貧乏国であったが、高度成長時代を自分の青春、中年期と重なることができる。日本全体が次第に貧しくなり、生活にアップアップするようになったが、私個人の生活も苦しくなってきた。

高速道路を運転しながら、いろいろなことを考えた。運転もあと5年ぐらいが限度だろう。ただ、石川県の田舎に戻るならば、車は絶対に必要である。晩年は都会に引っ越しもありだが、そのためには金が必要だ。やはり何事もお金の問題に突き当たるのだ。

djedj / Pixabay

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