京都で働いていた時の教え子が亡くなった。

先日、研究室にいた時に、携帯に見知らぬ人から着信があった。誰からかなと思いながら、電話に出ると、男性の声で、10年ほど前に、お世話になった〇〇の夫です、と声があった。そして、「実は〇〇は9月はじめに亡くなりました」と語ってくれた。

〇〇さんは、私が京都で働いていた時に教えていた学生である。この人は、社会人入学で、年齢も私よりも若干若い人であった。社会人入学であるから、時間を惜しんで勉強して、全てにおいて吸収に熱心であった。意欲的で色々なことに関心を持ちかつ積極的に活動していた。私が教えていた大学の大学院で学んでいたが、そこは修士課程までしかない。修士課程後も勉強して、博士課程まで進みたいとのことで、ある国立大学の博士課程に進学した。そこでは、3年だけで修了とはならないで、さらに数年かけてだが、修了して博士号を授与されたのである。私が岐阜に異動してからも色々と連絡をしてくれて、〇〇さんの意欲的な活動には感嘆していた。

しかし、それが昨年に突然発病して、1年近い闘病生活をして、ついに9月はじめに逝去されたのである。旦那さんは詳しく経緯を語ってくれた。〇〇さんは体調不調を訴えて医者に行ったが、その時には、ステージ4であったそうだ。ステージ4になるまで我慢をしていたのか、医者に行った時は既に手遅れとのことであった。それから、延命のために、患部の切除や化学療法を行ったりしたが、一時期は体調も回復したが、また再発してしまった。それから、次第に体重も減り、食欲も減退して、最後には自宅に戻って亡くなったそうだ。

旦那さんは無念の気持ちで、色々と語ってくれた。旦那さんは長年の付き添いされた愛妻を失って失意と無念の気持ちを語ってくれた。〇〇さんは、私とはさほど年が離れていない人であり、京都時代の元気な姿が思い出されて、寂しい気持ちになった。このところ、訃報を聞くことが多くなった。年賀状の季節が近づいてきたが、来月ぐらいから、不幸があったので、年初の年賀状を欠礼するとの連絡をいくつも受けることになるだろう。

とにかく、70歳の自分、一日一日を大事にして惜しむように生きてゆくことだなと感じ入った次第だ。

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