2016-06-18
変な夢を見た。それで目が覚めたのが真夜中の3時半だ。忘れないように、夢の内容を記しておこうと思って、いまノートパソコンを立ち上げて打ち込んでいるのだ。
自分はなんと死刑になる夢を見たのだ。何やら事情があって自分は犯罪を犯してしまった。そして、いよいよ執行だ。でも、執行前に最後の手紙を書くことを許された。学校の共同研究室みたいな場所で、手紙を書くのであった。
一緒に刑に処せられるのは、知人の女性Jさんである。Jさんは実に立派な態度で取り乱したりたりしなかった。自分はそれに驚いて、Jさんを見習わなければならないと思ったのだ。最後の手紙だが、小さなメモ帳に書くことになり、書きづらいなと思いながら、「自分はJさんの従容とした態度に感銘した。人生最後の日にJさんと一緒に死ねることは名誉である」というような手紙を書いた。文字が震えて、自分の文字は汚いなと思った。文字も大きくなったり小さくなったりと形が不揃いになった。
何故か、自分の祖父の白黒の写真があってそれを見る。ヒゲも黒々している。自分が大学受験の時に、とても心配してくれたことを思い出した。写真の祖父は若い。今の自分よりも若いようだ。
さて、刑務官がそろそろ執行の時間だから急ぎなさい、と指示してくる。Jさんはすーつと立ち上がって執行される部屋に行ってしまった。自分は、「死とは、永遠に意識がなくなることか、この意識が永遠になくなるのだ」とその観念に圧倒されてしまった。
しかし、何とか格好は付けなければいけない。遺書ぐらいは立派な文を書かなければと思うのだが、うまく手が動かない。でも何とか書き上げた。(夢の中で自分ながら感動的な名文を書きあげたのだが、夢から覚めてしばらくすると内容は全く覚えていない。惜しい。目覚めたらできるだけ早く何かに記しておくといい)
何とか助かる方法はないか。今から出口に向かって脱走を図っても無理だろうな。本当に刑に処せられるのか、これが夢ではないのか、と考えたら何だか夢のような気がしてきた。そしたら、これは夢であることに気づいて、ふと目覚めた。何やら、死から生還した安堵感を得たのである。
自分の夢を振り返ってみる。どうしてこのような夢を見たのか分析をする。
(1)夢の中で知人のJさんが現れた。とても立派な態度で自分は感心をした。でも、このJさんは自分とはほとんど接点がない人だ。知人ではあるが、この人の夢を見たのは、今までにない。自分はJさんに恋をしているとか、憧れているということはない。でも、なぜ、Jさんが出てきたのか?
心理学者ユングは夢の中では本当の情念が表れると述べている。彼の本の中で次のような事例を述べている。ある音楽評論家はワグナーの音楽が嫌いだった。ところが彼は夢の中で、ワグナーの音楽を聴いて随喜している自分を見る。目が覚めてよく考えると自分は本当はワグナーの音楽が大好きであることに気づいた。つまり、夢の中で自分自身が気づいていない本当の情念が表れるのだ。
しかし、自分がJさんにそのような気持ちを懐いたことはない。まったくない。なぜ夢に現れたのか。ほとんど接点のない人で挨拶ぐらいしかしたことがない人だ。これは不思議だ。
(2)自分は文字が上手に書けないので困ったという点だが、これは説明がゆく。昨日ある人に最近上梓した本を献本したいと思い、レターパックに入れ送り状を書いたのだ。その手書きの文字が上手に書けなくて困った。そのことと関連するだろう。
(3)死刑に処せられるという状況はカミュの『異邦人』の影響だと思う。自分は何度もこの本を読んで、ときどき自分がその主人公ならば、どのような行動をするか想像することがある。
自分の夢は楽しくない夢が多い。6月13日に「失職した夢を見た」という記事を書いた。楽しい夢を見たいが、どうしても無理だ。
現実の世界では、自分は常に恐怖や不安を感じて生きている。ただ、それらの感情を意思の力で押さえつけて生きている。しかし、夢の中では、意思による押さえつけが効かなくなり、恐怖や不安が意識上に登ってくるのだ。そんな風に解釈できるだろう。(今5時だ、このブログを書くのに1時間半もかけている)
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