ぎふ信長まつりを見学してカメラでいろいろと写真を撮った。スマホで撮った写真はすぐさまブログにアップしたが、カメラで撮った写真は自宅に戻りパソコンで今取り入れているところだ。
岐阜市は織田信長と斎藤道三という二人の戦国武将と縁がある。この岐阜市を斎藤道三が治めて(当時は、井ノ口と呼ばれた)、経済的な繁栄をもたらしたのだ。次の織田信長は天下統一を意識して、この町の名前を「岐阜」と変えた。これは、中国の周の国は岐山が発祥の地であること、孔子が曲阜生まれ出あることから、それらの名前に因んだのだ。つまり信長はそんな名前を因んだことから、その時にすでに天下統一を意識していたのである。
さて、到着して、早速学生3名とY先生の写真を撮らせていただく。
さて、祭りの模様だが、午前中は小雨という天気予報だったが、幸いにして曇りだけであった。そのためにも人の参加は多いようだった。催しが行われたのは、若宮通りの一角だけであったが、それでも屋台が数十ほどならび、壮観であった。
さて、お昼頃から、金華橋通りを音楽隊がパレードするというのだ待ち構える。最初は岐阜商業高校のプラズバンドの人たちの行列で、その後で、交通安全協会の人々がパレードをしていた。
音楽隊の人たちの歩き方がそろりそろりと歩くので、その点が面白かった。最後は子どもたちが輪投げをして景品を手に入れようと頑張っていた。でもなかなか命中しないので苦労していた。
本当は、明日の方がメインイベントとも言うべき、信長公騎馬武者行列があるのだ。そして、天気も明日は晴天とある。それを見物したいが、わたしは京都に滞在で残念ながら見ることはできない。
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