沢山の商品とミニマリスト


近頃は、本当に頻繁に岐阜イオン(マーサ21)にゆく。最近の自分はこのアパートと職場(学校)とイオンの三箇所しか行かない。自分の世界はこの3つだけになってしまった。狭い世界だ。

自分のブログのハンドル名は Nomad である。Nomad は「遊牧民」という意味で、世界中を飛び回りたいという自分の願いを込めて、この名前をつけた。しかし、実際は、狭い世界だけにとどまっていて、世界のことなどほとんど知らない。この頃は、新聞も読まない、テレビも見ない。ブログは読むのだが。自分が入手する情報はほとんどがブログ経由である。

そんな自分にとっては、イオンに行って中を動き回ることは、世界を実感する一つのチャンスでもある。食料品コーナーを回ると様々な食品が並んでいる。世界中から食べ物が輸入されていることが分かる。そして、食品の名前がカタカナになり、格好良くなってきている。「牛肉」が「ビーフ」に、「にんにく」が「ガーリック」に、「牛乳」が「ミルク」に、「鮭」が「サーモン」という具体だ。あと、100年後には、ほとんどが英語になるのでは。日本語の将来は?などと考えたりする。世界の言語事情が変化しつつあることをイオンの食料品売り場で実感する。

沢山の食べ物が並んでいる。人々の欲望を駆り立てるようだ。昔は質素な生活をしていた。その時代は、人々は欲望に素直であった。でも、今は商品がありすぎて、断捨離とかミニマリスト、シンプルライフという「行き方」が流行している。

私のように貧乏なせいでシンプルライフをせざるを得ない人間もいるが、ある程度お金に余裕があって、ミニマリストの行き方をするのは有意義かもしれない。

自分には、蒸発願望があるかもしれない。ふと思う。リュックサックに最低限の替え着と洗面具を入れて歩いて日本、できたら世界一周ができれば楽しいことだろうと思う。宿が見つからなかったら、どこかの野原で睡眠を、野宿もいいかなと思う。人類のほどんどはそんな風にして生きてきたのだ。人類の長い歴史において、家の中で睡眠をとるという贅沢はつい最近のことではないか。

京都に住んでいたときだ、冬の日の朝、橋の下で一人のホームレスが寝ていた。厚着をしていて体を曲げて寝ていた。50歳ぐらいの人か。そんな風にして生きていけるのだなと感心もした。ミニマリストの極致まで達した行き方だ。自分は真似できるかな。

biancamentil / Pixabay

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