消化試合としての人生

今は72歳だ。けっこう生きてきたと思う。人生に未練はない、と言えば「嘘」になる。やはり生きたいし、死にたくはない。だけども、この先、生きてもなにも楽しそうなことがないのが辛い。そう、消化試合としての人生のようだ。もう、優勝チームは決まってしまった。当然、私は優勝チームのメンバーではない。5位と6位を争うっているチームの試合を行っている感じだ。人生という試合に興奮することはなくなった。

人生が楽しくないというのは、やはり金がないのが大きな理由だ。親戚がクルージングをしたという話しを聞く。羨ましい、と思う。自分は、家内を連れてクルージングをする可能性は限りなくゼロ二近い。でも、車を運転して、1週間ほど気ままにドライブするぐらいならば、可能性はあろう。行き先を決めず、疲れたら適当な安宿にとまってドライブをする。楽しそうだ。まだ数年はドライブする力はあると思う。

秋になったら長男の結婚式に参加するのだ。新幹線代を節約するために、車で東京に行こうと思う。高速道路の運転は大丈夫かな。サービスエリアごとに休んでゆけばいいかと思う。2泊するのがやっとだろう。それ以上のホテル代は無理だ。長男夫婦に祝い金を渡したいのだが、知人の中には、100万円渡したとか、家を買ってやったという人もいるが、私はせいぜい10万円ぐらい渡すのが精一杯だろう。

今年の支出の予定は、タイヤが古くなったので買い換える(7~8万円)、確定申告で10万円ほど、自動車税で3万4千円だ。固定資産税とか、あとは夏休みに実家の水道管の修理をお願いする予定だ。そして長男の結婚式での支出、さらに11月頃に冬タイヤを買いたい。

金がない。2年ほど前の絶望的なド底辺の財政状態と比べるとやや持ち直したか。でも、相変わらず低空飛行であることは間違いない。

cocoparisienne / Pixabay

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