石川県の地震のことをもう少し語りたい。
石川県は私が子供の頃は全く地震はなかった。ところが、この20年ぐらい前から、地震が増えて来て、昨年、一昨年と中程度の地震が起こった。神戸とか東北の大地震だが、そのあとは、その地では大きな地震の話は聞かない。つまり、一回きりの地震のようだ。でも、石川県は、常に地震が起こっている。大きな火山帯があるわけではないので、何が理由かは分からない。地殻変動が起こったのか?
ネットで見ると、「救助隊はもっと急げ」とか、「政府は何をしているのだ」とかの苦情の声が聞こえる。でも仕方がない面もある。能登半島の特殊事情を説明する必要がある。被災地に東西南北様々な方向から救助隊が向かうことはできない。南の金沢方面からしか、能登には行けない。その道が切れてしまったのだ。
能登半島は、山ばかりあり、海に面した狭い土地に人々は住んでいる。長らく、農業と林業と漁業で生計を立てて来た貧しい地域である。一時期は繊維産業も盛んだったが、他のアジア諸国の繊維産業との競合に敗れている。私のふるさとは、今は牡蠣の養殖で細々と生計を立てているようだ。
数十年前は、観光地として脚光を浴びて、大阪方面から観光客が押し寄せる時代もあった。しかし、海外旅行が一般的となり、旅行客も少なくなった。昨年の夏は、閉鎖した観光施設をいくつも見かけた。
私の実家は中能登の七尾市にある。北端にある輪島市や珠洲市ほどひどい損傷は受けなかったが、それでもかなりの被害があったようだ。すぐにでも見に行きたいのだが。情報を得ていた親戚の人は、一人は全く連絡が取れなくて、他の一人は2日に簡単な情報をもらったが、避難所に移動してからは連絡はない。携帯の充電も切れてしまったのかな。とにかく誰もが自分のことで精一杯で他人の家のことなど気にかけることはできないだろう。
ニュースを見ると、7日現在でも電気も水道も復旧していないようだ。避難所は、あんな寒いところに、高齢者ばかりがいて、今後の展望は分からない。能登の高齢者は毎年、1月、2月によく亡くなるが、こんな状況では、ますます体調を崩すだろう。そして医者にかかることもできないだろう。葬儀場だって機能しないだろう。
能登半島は、狭い半島で、真ん中に里山海道なる自動車専用道路が走っている。そこは山の間を走っているのだ。土砂崩れとか、道路の陥没などがすごいようだ。能登には、集落がいくつかあって、まだ高齢者は残っている。そのような集落は細い道で市街地とつながっていたのだが、その細い道が切断されて、集落のお年寄りは全く物資が入らない。考えただけでも恐ろしい。
3月の半ばごろには、道路も復旧だろうから、実家を見てくる予定だ。最悪のことは覚悟しておこうろ思うのだ。
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