典型的な梅雨の日だ!

2016-06-29

昨日、一昨日と自炊をした。野菜をフライパンで炒めて卵を入れたのだ。二日とも同じような料理だ。塩、醤油、ソースなどは使わない。塩分は控えめということにしている。

今日は強い雨だ。研究室から駐車場に向かう。山には雲か霞がかかっている。仕事が何もなくて、ぼんやりと山を見ながら、万葉集を読んだりすると、気分が高まるかなと思ったりした。しかし、仕事をいっぱい抱えた身としては、梅雨空は煩わしい。風流な気持ちになれない。そして、梅雨が終わるとあの猛暑がやってくるのだ。それも困るのだ。

山には雲が低く立ち込めている。

山には雲が低く立ち込めている。

自分の住んでいるこの辺りは霧が多い。山もよく霞がかかっている。神秘的な感じもするのだ。今度ゆっくりと山を散策したいとは思っている。


夢の話をしてみたい。自分の見る夢はよく追いかけられて上に上にと逃げるパターンが多い。怖い夢は、水平方向に走って逃げたり、地下に潜る、という夢はない。ただただ、上に逃げていく夢だ。

夢を見るときには、目が覚めている時には抑えていた枠が取り除かれる。すると、無意識の中に潜んでいた恐怖心が意識上に登ってくる。その恐怖は実は人類が普遍的に持っている恐怖心ではないかと思っている。

我々の手には指紋がある。足の指にも指紋がある。この指紋を持っているのは人類とサルだけだそうだ。我らの先祖は木の上で生活をするようになって、滑り止めのために、指紋、手紋を発達させた。我らの手は親指と他の4つの指は向かい合っている。これは木をしっかりとつかめるようだ。木の上で生活をするようになり、そのように発達したのだ。また目の位置は他の動物のように左右ではなくて、前面に二つ並ぶようになった。これは、遠近感を感じるためである。木から木へ飛び移る時には、遠近感は必要な感覚である。

恐怖を感じると手から冷や汗をかく。これは滑り止めだ。我らの先祖は、天敵に襲われたりすると、恐怖を感じて、手に滑り止めの汗をだして、木に登って難を避けるのだ。

私の心の中にも、先祖の思い出というか、今日の体験が染み込んでいる。さすがに昼間の時には自分は恐怖を感じても、木によじ登ったりはしない。しかし、夢の中では、意識という枠組みが取り除かれた世界では、先祖たちが感じた恐怖なども蘇ってくる。その時は、先祖たちが行ったように木に登って難を避けるのだ。

私は夢の中で恐ろしい人やモンスターに追いかけられると、木に登るように、上に上に登って追跡を免れようとする。夢の中で、自分は先祖返りをしているのだ。

そうそう、今度大きな木に登ってみるのだ、そこで昼寝をしたい。そして絶対安心の世界に浸りこみたい。

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