祇園祭、聖書の独英語版

2016-07-26

昨日は非常勤先でゼミ生の論文指導をおこなった。ゼミ生は祇園祭に参加して、そのことに関して何ページか執筆していた。祇園祭の前日、それを宵山と言うそうだが、ゼミ生が参加したのは宵山の方だ。祇園祭は大変な人出で、外国人観光客の姿も見えたそうだ。ゼミ生と一緒に考えたのは、どうしたら祇園祭のことを外国人観光客にもっと知ってもらって、観光客の数を増やして、観光都市としての京都の知名度を高めるかということであった。パンフレット、ホームページ、口コミなどを活用すべきである。

いつも親切にしてもらっているHさんから「滋賀づくり」を頂いた。ご当地特産の一番搾りである。なんでも、滋賀工場は「滋賀づくり」の生産をストップするそうで、すると、これは大変レアなビールになりそうである。

日本各地のご当地ビールを集めると、面白いと思う。ポケモンみたいにレアなキャラを作るのはどうか。例えば、網走監獄で囚人たちに手伝ってもらって作っている「監獄づくり」とか、富士山の頂上で万年雪を原料に、「富士頂上づくり」である。

てなことで、Hさんから頂いたレアビール、今日の夕食時に飲む予定。ぐんと冷やして飲んでみたい。

ところで、このところ、ドイツ語の勉強を始めている。Kindle で聖書の独英対訳本を寝床の中で読んでいる。この本は最初にドイツ語の文章が出て、その下に英語の対訳が出る。便利でとても重宝している。

いま、マタイ伝の冒頭を読んでいるのだ。不思議に思うことがある。イエスはユダヤ人なのだ。(聖書にそう書いてある)しかし、ユダヤ人たちによって命を失うことになった。キリスト教徒たちはユダヤ人をイエスを処刑したと責めて嫌う。でも、キリスト教徒はイエスを信奉する。そしてイエスはユダヤ人なのだ。

ユダヤ人はイエスを生み出した民族であるがゆえに最も清らかで聖なる民族なのだ、しかし、イエスを殺したゆえに最も汚れて罪深い民族なのだ。矛盾する二つの感覚が結びつく。不思議だ。ところで、自分はこのテーマを追求していきたいと考えている。この謎を解くカギは宗教学者エリアーデの「聖と俗」という概念なのだと思う。

仕事から完全に引退したら、生死に関するテーマ、宗教的なテーマを勉強したいと考えている。なぜ、自分という意識があるのか。そして、この自分という意識が近い将来、完全消滅するのだが、そのことが不思議で、また恐怖なのである。

Kindle の独英対訳の聖書

Kindle の独英対訳の聖書

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