2016-04-15
昨日はアパートから職場まで歩いた。であるから、帰りは、やはり徒歩で帰ったのである。写真を撮ろうとすると、どこでも電線があることに気づく。おまけに、高圧線までも視界に入ってくる。
行きは元気で徒歩通勤も楽しかったが、帰りは仕事で疲れたので、やや腰が痛くて徒歩が少々苦痛になる。
京都の町並みを考える。京都の住宅街はほとんど緑はない。残っていた空き地はほとんどがアパートが建設されてゆく。
京都では職場までの徒歩の時に、目を楽しませてくれるのは空き地や田畑の緑であった。狭くびっしりと建てられた建売住宅をみていると、三階建で互いに隙間はほとんどない、庭がない。そんな住宅を見ながらうんざりしていると、ふと空き地が現れ、そこに柿の木があったり、紫陽花の花が咲いてたりする。
そんな残った農地や空き地が京都ではほとんど消滅しようとしている。たしかに、京都では有名な寺社仏閣は緑で覆われているが、庶民の住む住宅地は、人口の急増とそれに合わせた住宅の建築で、もう空き地がないほどだ。残っていた空き地がすべて住宅地に転用されつつある。
そんな醜悪な住宅地から、岐阜にくると、家々の大きさの違いにまず気がつく。京都特有の三階建の建売は見当たらない。家が大きくて庭も広い。岐阜は土地が豊富なのだと思う。ただ、この土地では、車は必須である。車なしでは生きていけない。
自分はふと素っ頓狂なことで、昨日は職場まで往復したが、まあ、これもありかなと思っている。職場まで、ドアからドアまで、1時間の通勤距離ならば、平均的な通勤時間であろう。
歩きながら、耳はiPhone でFox Radio News を聴いていた。アメリカのニュースはほとんどが大統領の予備選の話題ばかりだ。心はしばしアメリカの政治情勢に飛ぶ。
そしたら、秋葉神社なる神社に来る。その横に墓所がある。その手前には、お地蔵さん?が8体ほど並んでいる。しかし、中央は親で両脇は子供のような気もする。水子の供養なのかなとも考えたりする。
この地域は、地図で見るとたくさんのお寺がある。檀家の数が足りるのかと心配になるのだ。せっかくだから、暇な時にこれらの知られない寺社を訪れて写真を撮っておくのも楽しいだろうと考える。
てなことを考えているうちに、アパートに到着した。明日は自転車で別のルートを探検しながら、山越えで職場まで行ってみようかと考えている。
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