岐阜の観光を考える。

2016-04-16

京都は観光地としては有名である。しかし、岐阜は観光地としてはあんまり有名ではない。関東の人が西へ旅行をするとしたら、京都、大阪、神戸が定番であろう。あるいは、広島、福岡あたりか。岐阜にわざわざ下車して、観光地を訪れることは考えづらい。

私はこんど岐阜の観光について講演することになった。それで、何が岐阜の魅力か考えてみた。ネットで調べてみる。岐阜大仏があるそうだ。日本三大大仏として、東大寺の大仏、鎌倉の大仏、岐阜の大仏だそうだ。岐阜公園の近くにあるそうなので、こんど行ってみたい。

鵜飼は有名であろう。岐阜県を象徴する鳥である。高速道路で、岐阜県に入ると鵜の標識があり、ここから岐阜県だと示してくれる。

白川郷も岐阜県にある。最近はマイカーでの訪問客が増えたので、マイカー規制と聞く。ここは私は何回も行ったことがある。

関ヶ原の古戦場も面白い。ここで日本の運命をきめる、それこそ天下分け目の戦いが行われたのだ。自分は敗将であある石田三成に若干同情する。さしたる地盤もなくて、あそこまで出世街道を上り詰めて、そして敗れ去り散ったのである。この古戦場へのアクセスだが、JR関ケ原駅から徒歩20分だと聞く。

https://retrip.jp/items/16043581/

https://retrip.jp/items/16043581/

岐阜城も岐阜の有名な観光地である。1567年(永禄10年)に、織田信長がこの城を攻略して、この地方一帯を支配下に置いた。そして、地名も「井の口」を「岐阜」と改称した。信長はこの岐阜城を自分の天下統一の本拠地としたのである。

photo credit: 岐阜城.jpg via photopin (license)

photo credit: 岐阜城.jpg via photopin (license)

ポイントは、今の統一された日本の源泉がここにあるということである。戦国時代という混迷の時代から、一人の有能な武将が現れた。そして分裂していた日本が統一へと大きく動き出したのである。

その動きは、明智光秀、豊臣秀吉、豊臣秀次、石田三成、徳川家康と様々な役者が演じる中で、次第に江戸時代へとそして、現代日本へと繋がったのである。岐阜城に現代日本の源がある、と言っては言い過ぎか。

自分は、明智光秀の城があった亀岡によく行く。また光秀と秀吉が戦った山崎の近くの大山崎をよく通る。このインターから名神高速を使うことも多い。さらには、本能寺の跡地を訪れて写真をたくさん撮った。

また、秀次が善政を敷いたと伝えられる八幡城も行ったことがあり、近江八幡の街をぶらついたこともある。そして、秀次の一家全員が処刑された三条川原の跡地を訪れたこともある。

こんな風に考えると結構自分はこの時代のことに関する場所に近いところに住んでいる。写真なども結構集めたのだ。これらの資料を使いながら自分の感じたことを加えるならば、講演の素材になるのだと考える。

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