鵜匠さんの話を聞く。


昨日は、鵜匠さんから鵜飼いの話を聞いた。とても面白かったので、聞いた話を以下に紹介する。


鵜匠のSさんは現在44歳である。鵜匠の家は代々世襲制だそうだ。1300年以上の伝統のある職業である。長良川鵜匠に関しては、明治期に6家が鵜飼いの仕事をしていた。その鵜飼いが宮内庁の管轄下に入り、その6つの家は宮内庁式部職鵜匠として国家公務員となった。

鵜飼いは世襲制であり、Sさんが29歳の時に、父親がなくなり、その時に鵜匠の職を継いで、爾来15年もの間鵜匠をしている。ただ、Sさんは中学時代から父親の仕事を受け継ぐのは当然という考えで、小さいときから手伝いで船に乗ったり、船頭をしたりで仕事には慣れていた。

男子が鵜匠の職を受け継ぐので、その奥さんは男子を産まなければならないというプレッシャーがあるそうだ。ただ、現在まで6つの家とも男子が生まれて、世襲はうまく行っているそうだ。将来は分からないとのことである。

だが、ある鵜飼い場では、鵜飼いの仕事をする人がいなくて、ハローワークで募集したら、女性の方が応募されて、一年間の研修の後に、その女性がそこでの鵜飼いの仕事をしているそうだ。

鵜匠さんが鵜の首を押さえている。

鵜であるが、鵜飼いの鵜は卵を産まない。飼われている鵜はなぜか交尾をしないので繁殖はしない。それで、野生の鵜を捕まえなければならない。川鵜ではなくて、海鵜を捕まえのだ。日立市十王町の海鵜の捕獲場で捕まえた海鵜を長良川の鵜飼いで働いてもらっている。鵜の値段は一羽が8~9万円だ。この野生の鵜を自宅で訓練するのである。鵜は鋭いくちばしを持っているので、よくつつかれるので、訓練する段階でかなり鵜匠の手は傷つくそうである。

普通は3年ほど訓練すると魚を捕まえるが、早いと2年ほどで、遅いと4年ぐらい訓練に年数がかかる。野生の鵜ならば寿命はだいだい10年である。しかし、飼われた鵜ならば20年ほどの寿命である。中には30年ほどまで生きる場合があるそうだ。

飼っている鵜の場合は、鵜匠さんが常に体調管理をして薬を飲ませたり、食べ物の管理をしたりするのでこのように長生きをする。でも、鵜匠さんの話しでは、野生のまま自由に生きて10年の寿命と、飼われて束縛されたままで20年以上生きるのでは、鵜にとってどちらが幸せかは分からないと述べられていた。(人間も束縛されたままの長生きか、自由気ままで短命のどちらがいいのか、人それぞれかもしれない)

なお、20年ほど経つと鵜も魚を捕らえることが難しくなる。いわば老化で体力が衰えるのである。鵜の引退所(老人ホームのような施設)に送る場合もあるが、Sさんは鵜は自宅で最期まで面倒をみるそうだ。

Sさんの家には、現在15羽の鵜がいる。毎回、鵜の体調を見ながら漁にでる鵜を決めている。鵜には名前を付けていないそうだが、一羽一羽はしっかりと認識できる。鵜舟の船頭をしていたときは、一羽一羽の違いは分からなかったが、実際に面倒を見るようになり、首の太さとか体重を量ったりすることで、また一羽一羽の性格の違いを知ることで、今では完全に識別できる。そんな鵜匠さんでも、鵜のオスメスという性別は分からないそうである。

漁は夜に行うのだ。昼は魚の動きが速すぎて、鵜でも捕まえることはできない。夜は魚の動きが鈍るので捕まえやすい。なお、鮎は夜に光るので、捕まえやすい。なお、鵜が捕まえる魚の8割は鮎であり、その以外の魚を2割ほど捕らえる。

鵜に縄を付けている。

さて、鵜匠さんの衣装だが、これは伝統的に決まっている。画像の衣装が正装であり、儀礼の時もこの衣装で臨む。頭にかぶるのは、風折烏帽子 (かざおれえぼし)であり、紺色の麻布で、鵜匠が篝の火の粉から髪や眉毛を防ぐためにかぶる。この日は、我々の目の前で、鵜匠さんが一枚の布を器用に畳んで烏帽子にしていく様は興味深かった。胸当 (むねあて)は、首や胸を篝の火の粉から守るためのものであり、夜に鵜を刺激しないように暗い色の服である。

腰に巻いているのは、腰蓑 (こしみの)であり、藁で編んだものである。水が下まで浸みないで暖かさを保つことができる。腰蓑は消耗品であり、年に3着ぐらいは使い尽くしてしまう。オフシーズンには鵜匠さんは自分で腰蓑を作ったりする。

鵜の喉のところに巻き付ける麻のヒモを首結(くびゆい)と言う。きつ過すぎてはいけない。緩すぎると鮎を呑み込んでしまうのでこれも問題だ。小さな魚は呑み込んで大きな魚は呑み込まないような加減で緩さを決める。一羽一羽、その日の漁の様子を描きながら、どの程度のきつさで縄を付けるか決めるそうである。鵜匠さんは、4年間あまり試行錯誤しながら、首結の手加減を覚えていった。

人鵜一体(じんういったい)という言葉があるそうだ。つまり、鵜と人とが長年付き合って、やがて鵜の気持ちが分かるようになり人と鵜が一体化する。その上で、はじめて、鵜は上手に魚を捕るようになるのだ。

さらに、手縄(たなわ)をつけて、鵜を操るの。手縄は鵜の身体に巻き付ける。そして、このヒモで鵜をコントロールするのである。左手で12本持って(つまり、12羽の鵜を操るのである)、鵜が動き回るとヒモが互いに絡まるので、左手で時々は手縄を抜き出して絡まないようにする。

その後に、箱から3尾の鮎を捕りだして、実際に呑み込ませ、そして鵜を逆さに持ち上げて鵜から魚を吐き出す手順まで見せてもらった。鵜の喉は広がるので、6匹ほどの魚をそこに入れておくことができるそうだ。

観客は鵜が魚を呑み込む姿を実際に見て大喜びであった。なお、この日連れてきた鵜は21歳ぐらいでかなりの老いた鵜である。若い鵜よりは老いた鵜の方が興奮しないので、このような場には相応しいのであろう。


今日の鵜匠さんの話は、自分が知らないことばかりなので、非常に参考になった。自分はまだ長良川での鵜飼いの様子を見てはいなかったので、今度は是非とも見たいと思ったのだ。

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