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『赤と黒』の動画をYouTube で見ていると疑問に思うことがある。『赤と黒』はジュリアン・ソレルとレナル夫人の不倫が1つのメインテーマである。そして、関係が深まるとジュリアン・ソレルは真夜中に夫人の部屋に忍び込んでゆく。
映画を見ての感想だが、いくら広い家であっても、誰からも気づかれずに夫人の部屋に行くことは難しい。たくさんの使用人がいるのだから、真夜中にトイレに行く人もいるだろう。深夜の静かな時間帯であるから、何か音を立てれば、人々は耳をすまして聞いてしまう。
ただ、当時は、真夜中は廊下を歩いたりしなかったろう。電気のない時代であるから、夜間に廊下にロウソクを灯しておくのは火事の危険がある。すると、トイレなどは部屋の片隅に置いてある尿瓶を用いたと思われる。
英語ではchamber pot (フランス語ではpot de chambre)と言うのだが、真夜中はそれに用を足していた。むやみと廊下などは歩きまわらなかったのだろう。ただ、部屋の作りなどは現代のように頑丈ではないので、防音などは難しかったのではと思う。やはり音は聞こえてしまう。
この『赤と黒』だが、生活感はあまりない。人々が何を食べたのか、などは生活の重要な部分だが、それらは綺麗さっぱり省いてある。ただ、2人の心理的な動きに焦点が合わせてある。
人間の生活において、朝起きて顔を洗って、食事をして、トイレに行き、シャワーを浴びて、髪をとかし、女性ならば化粧をする。などなどは、かなりの時間と労力を費やしている。
この小説はそれらが描かれることはない。ただ、食事ぐらいは詳しく書いた方がよかったのだろうと思う。主人公たちが何を食していたのか。食前酒は何を嗜んだのか、メインのコースは何かなどは、詳しく書いてくれると私などは楽しめるのだ。
池波正太郎の時代小説の魅力の1つに江戸の食文化を紹介していることだろう。主人公たちは、居酒屋に行って、カンした酒を飲む。鴨肉が入った蕎麦を食べる。美味しそうに食べるその描写が実に上手である。読み手は江戸の食文化に魅せられてしまう。
話は飛ぶが、石川県には美味しい蕎麦屋が多い。とろろ蕎麦、おろし蕎麦などは天下一品のところがある。しかし、不思議と京都には蕎麦屋がない。代わりに焼肉屋とお好み焼き屋が多い。岐阜は何だろうか。喫茶店のモーニングサービスが充実している点が特徴である。
さて、話を戻すと、主人公ジュリアン・ソレルと夫人との恋愛に一直線に進んでゆく。しかし、同時に自分が将来にパリの上流社会に乗り出してゆこうとする野心もある。夫人を単に自分の出世の足がかりにしか考えていない面もある。などと色々な読み方ができる本である。今はゆっくりと読んでいる最中だ。
ところで、この本の翻訳はどれがいいのであろうか。光文社古典新訳シリーズで、東大の野崎歓教授が新訳を出した。それに対して、立命館大学の下川茂教授が、その翻訳を酷評した。「前代未聞の欠陥翻訳で、日本におけるスタンダール受容史・研究史に載せることも憚られる駄本」とまで言い切っている。
そして、学会誌にその批評を載せている。『スタンダール研究会会報』18号である。この論争はお騒ぎになった。自分の感想は欠陥だらけと称するのは酷だなと思う。翻訳すると本当に膨大な数の作業となる。自分自身の思い込みが出てくる。仕方がない面もある。
この野崎教授も3年ほどかけて大学院生と一緒になって翻訳をすればよかったのにと思う。毎回、数ページずつ学生に順番に翻訳をさせて、その翻訳をみんなで喧々諤々とチェックする。そうすれば、多くの人の目で見たことになる。勘違いは少なくなる。
とにかく、翻訳はグループで行うべきだ。1人での個人作業ではないと思う。とりあえず、野崎氏の翻訳を下に掲げておく。また、私が読んだのは岩波文庫なので、その本も掲げておく。
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