カタツムリの命を救う。


昨日は自転車で通勤した。すると、道路上をカタツムリが横断しているのを発見した。これではカタツムリは車に轢かれてしまうと思って、私は自転車をカタツムリのそばに止めた。私の後ろからきた車は私が突然止まったので怪訝に思いながら、私を避けるように、道の左側に寄って、走り去っていった。カタツムリはきわどいところで轢かれなかった。そのあと、私はそのカタツムリを道路から離れた草むらまで運んだのだ。

この道は時々にカタツムリがいる。その度に私は指にはさんで横の草むらまで運ぶのだ。先日は無残にひき潰されたカタツムリを見つけて胸が痛んだ。

先日私は以下のような記事を投稿した。

交尾しているカタツムリを見つけてそれらを横の草むらまで運んだのだ。その時に、不思議に思ったのは、カタツムリのように行動範囲の狭い生き物がどうやって相手を見つけるかということだ。

行動範囲は狭い。生涯おそらく500メートル以内だろう。ところで、ネットで調べるとカタツムリは雌雄同体だそうだ。つまり、男でもあり女でもあるのだ。これは相手を見つける確率が非常に高まる。つまり、カタツムリでありさえすれば、交尾できるのだ。つまり自分のオスの部分は相手のメスの部分と接触して、自分のメスの部分は相手のオスの部分と接触するのだ。

時には、自分のオスの部分とメスの部分が交尾して、卵を産むことがあるそうだ。ふーん、便利なものだ。そうするとカタツムリの恋愛は我々人間の恋愛とはかなり異なるようになる。

動物を主人公にした物語はいくつかある。ライオン、犬、猫、狐、とら、鷲などはよく童話の主人公として登場する。しかし、私の知っている限りは、カタツムリを主人公にした小説はない。

『カタツムリの王子、スネイルの冒険』というタイトルならば、珍しがられて売れるのではないか。雌雄同体という点で次の話が連想される。プラトンの対話篇の中で、人間は元来は雌雄同体であったが、神がそれを2つに切り分けた。そのために、人間は切り分けられた相方を求めて恋愛をするという話があった。そのことを思い出した。であるから、カタツムリの王子という性別の決めつけは良くない。王子であり同時に王女でもある。

『カタツムリの若者、スネイルの恋愛物語』などというタイトルで小説を書くとなると相当の想像力が必要だ。つまり、恋愛のあり方が人間とは相当異なっているからだ。しかし、それだからこそ、書いてみるだけの価値があるかもしれない。

「我輩はカタツムリである。自分は男なのか女なのか分からない。生まれたところは大きな木の湿った根本だ。兄弟姉妹が30匹ほどいたが、しばらくしたら我輩一匹になってしまった。親の顔も見たことがない。その意味では天涯孤独の身の上だ。」

こんな風な出だしで、カタツムリの恋愛物語を書いてゆく。様々な試練に出くわして成長してゆく。ある時は、道路を横断していて、車が来たので自分は一巻の終わり、と覚悟したら、親切な人間の老人に助けられた。そして、その老人は私を草むらに運んでくれた。それから、私の新しい旅が始まった。という風に話を続けられそうだ。直木賞に値する大作品が書けるかも知れない。

kie-ker / Pixabay

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