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昨日は徒歩で職場に行った。歩くときの自分は、時間の割合から言うと、1/3は前を見ている。1/3は横を見ている。1/3は下を向いて歩いている。
下を向いて歩いているのは自分自身を恥じているからとも言えるが、時々は面白い発見があるからだ。動植物を観察することができるからだ。
昨日はカタツムリが道路上にいた。立ち止まってよく見ると二匹のカタツムリがくっついているのだ。どうやら交尾しているのだ。ぬるっとした身体を互いに巻きつけている。白昼堂々と、道路上の公の場所で、こんな淫らな行為をしているなんて。
ところで、カタツムリのいた道路は田んぼの中の道路だが、結構車も通る。このままカタツムリがいたら、車に轢かれて双方ともペタンコになる確率が高い。愛と死という言葉がある。カタツムリたちにとっては、行為の真っ最中に轢死するのは愛の確認であり望むところかもしれない。でも死に急ぐ必要はない。
とにかく、私はカタツムリが危険だと思って、そっとつまみあげて近くの野原に持っていった。そして安全な場所におろしたのだ。どうか、末長くお幸せに、と祈りながら。
ところで、私が不思議に思うのはカタツムリはどうやって異性を見つけるのか、ということだ。カエルやセミは大きな鳴き声でオスはメスに自分の存在をアピールする。猫たちは行動範囲が広いから自然と異性を見つけることができるのだ。
しかし、カタツムリは鳴かない。耳もなさそうだ。動きが非常に鈍い。そんな超スローな生活でどうやって異性を見つけるのだろうか。匂いで嗅ぎつけるのか。
カタツムリの生涯の行動範囲は数百メートル以内ではないか。その行動範囲の中で異性を見つける確率は少ないであろう。であるから、異性を見つけたら、即その異性が「運命の人」なのだ。もっと他に自分には相応しい相手がいるのでは、と言うような余計なことは考えない。
恋愛に関しては、カタツムリの世界は単純明快でいいなと思う。人間の世界のように選択が多いことは必ずしも幸せとは限らない。
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