病院の待合室の観察


このところ、毎日病院に行っている。家内が点滴をしている間は、私は待合室で周りの老人達の観察をしている。

ある80歳ぐらいの男性は、事務の女性に何かをしきりに訴えている。体のあちこちが痛むようだ。看護師さんに訴えるならば、意味はあるが、医療の専門家でない事務担当の女性に訴えても、無駄だと思うのだが。でも、事務の人はニコニコしながら患者さんの訴えに耳を傾けている。80歳ぐらいの男性にとって、とにかく話をしたいのだ。誰にでも、自分の症状を訴えたいのだろうと思う。15分ほど話すと、とにかく落ち着いたようだ。

車いすの人が多い。杖を使ってやっと歩いている人もいる。さて、私だが、自分はまだ歩行ができる。この点だけでも感謝しなければと思う。歩くことは楽しみの源である。少なくともあと10年は歩行ができますようにと願う。自分は、自力で食事ができる。まだ排便ができる。排尿もできる。自力でできる。そんな簡単のようなことが、人間が年齢を重ねると難しくなってくるのだ。

一人の車いすの老人が、ぜーつ、ぜーつ、と大きな音を立てている。息をするのがやっとなのか。しばらく苦しげな音は続いたが、ようやく落ち着いた。付き添いの人が何か声を掛けているようだが、どんな声かけも無駄だろうと思う。

何だか、待合室にいたら苦しくなってきた。精神的な圧迫感はすごいものだ。ふと考えたが、小児科の待合室などは楽しいものだろうと思う。病気でも子どもの姿を見ると明るくなる。若いお母さん方は神々しくて、女神みたいなものだ。病院の待合室でもかなりの差があるようだ。

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