2016-05-22
昨日(21日)は岐阜から京都へ移動する日であった。毎週恒例の移動であるが、出来事をきちんと記録しておきたい。
朝の3時半頃には目が覚めた。自分の年齢のせいか、あるいは日が長くなっているせいか、この時間に目が覚めたのだ。下の階の住民たちの迷惑にならないように、静かに出発の準備をする。
4時半過ぎに車に乗り込む。肌寒いくらいだ。一瞬ベストを着ようかとも思うが、すぐに暖かくなるだろうと思い、そのまま走る。しかし、どうにも寒いので、車の暖房をいれる。ようやく暖まってくる。
朝の5時半ぐらいに吉野家に立ち寄って、牛鮭定食を注文する(580円)。鮭は薄く切ってある。牛肉は脂身が多い。しかし、味付けが上手なのか、結構美味しく感じる。昔と比べて牛肉は脂が増えてきたように思うが、これは私の勘違いか。
満腹になったところで、ふたたび運転を始める。が、どうも調子がおかしい。満腹だと体の緊張が緩み、運転が荒っぽくなる。そんなかんやで、岐阜羽島のインターに入る。6時過ぎたあたりから、車の数が増えてくる。
舟木一夫のCDを聴いてみる。例によって、『高校三年生』『修学旅行』を聴く。そのあと、荻野目洋子の曲を聴いてみる。荻野目洋子は『ダンシングヒーロー』と『六本木純情派」の2曲である。舟木一夫と荻野目洋子という、この両者の歌は相当な違いがある。時代的には20年ぐらいの差である。舟木一夫の曲は75調で日本語の歌詞の美しさや懐かしさを最大限に駆使している。リズム感はあまりない。
一方の荻野目洋子の曲は日本語として不自然に聞こえる。それはリズム感を強調するために、英語風に、強弱強弱の強勢を入れて歌うからだ。だから、聴いていると体もそれにあわせて動かしたくなる。
舟木一夫を聴いても、踊りたくはならないが、荻野目洋子を聴いていると体を動かしたくなる。しかし、高速道路上で車を運転しながら、体を動かすのは危険である。よって、高速道路上で聴くのは舟木一夫が安全である。
そんなことを考えながら、京都南のインターに到着した。さて、京都のアパートへは8時前に到着する。ちょっと休んでから、周辺を散歩する。近くに臨済宗の巣林寺というお寺がある。三重の塔の上に龍があるのが特徴だ。
ここはしばしば通るのだが、この龍のいわれを知りたい。このお寺は参拝客は受け入れてなくて中へは入れない。つまり檀家の人しか受け入れないのだろう。観光客には関心を示さずに、そんな信仰第一のお寺があることはいいことだ。
さて、今日22日はこれから、広隆寺の方へ散歩して、半跏思惟像を見てくる予定だ。前回、訪問した時は、数年前だか、一人の中年の女性が、半跏思惟像の前でずっと祈っていた。私が他の展示品も見て戻ってきた時も、その人はまだ半跏思惟像の前で祈っていた。30分以上も祈っていたのだ。あの時は、その女性は何を祈っていたのだろうか。女性の顔は何か寂しげであったことだけは覚えている。
むかし、1960年8月19日だが、京都大学法学部の3年生の学生が半跏思惟像の美しさに、像にキスをしようとして、右手の薬指を折ってしまったという事件があった。さて、私はこれから広隆寺に行って半跏思惟像を鑑賞するのだが、気をつけて新聞沙汰にならないようにしたいと思う。詳しくは後ほど。
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