2016-06-05
さて、金華山の探検が始まるのだ。学生はどのグループもここにはまだ来ていないようだ。いたるところに、歴史的な説明のある掲示板がある。それは英語の説明が併記されていたり、タイトルだけならば、中国語やハングルの表記もある。しかし、外国人の姿は見えないようだ。聞こえてくる声は日本語ばかりである。
ロープウエイを降りてから、さらに10分ほど歩いた。するとお城が見えてきた。4層の建物だ。外側、内側など色々と写真を撮る。岐阜城の城主だった斎藤道三と織田信長の人生を思う。波乱万丈の人生だったのだ。でも、彼らが曲がりなりにも交通の要所を抑え、そこから天下を伺うことができたのは、経済に対する鋭い嗅覚があったからだと思う。彼らには政治力をささえる経済力という認識があったのだ。
その後、ロープウエイを降り、同僚の先生と落ち合って食事をする。「楽市楽座」という名前のレストランだ。楽市楽座とは織田信長が行った政策の一つで、通行税を徴収していた関所をすべて廃止して、交易を飛躍的に伸ばした政策である。こんなところにも、信長の経済に対する先見の明を伺うことができる。このレストランのオーナーのネーミングのセンスに感心する。
同僚の先生とはカレーを注文して、食事をしながら、色々と雑談をする。学生もやってきて、何気ない話を交わしたりした。その後、解散時間まで岐阜公園の中を散策した。以下、学生たちの何気ない姿と岐阜公園入り口の信長公の銅像を写真に収める。
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