京都の都市計画について

2016-06-27

今日の朝は例によって非常勤先の大学でゼミ生の卒業論文の指導をした。この一週間でゼミ生が加筆した部分を教えてもらい読み合わせをしながら、少しづつ修正をしていった。

自分が気づいたことであるが、京都にはたくさんの神社仏閣がある。しかし、巷に知られているのはそのうち、ごくわずかである。金閣寺や清水寺、三十三間堂などは世界的なブランドになりつつある。しかし、外国人も日本を繰り返し訪れるようになると、だんだんとマイナーな所に行きたくなる。

京都にはこじんまりとした、それでいて魅力溢れる地味な神社仏閣がたくさんある。これからの京都は街全体が大きな公園のようになって、人々が散歩や散策を楽しめるようになればいいと思う。だが、京都の町の都市計画は大きな失敗である。左京区のあたりはまだ良い。しかし、右京区や西京区などの住宅街は無秩序な建売住宅が並んでいるだけで、これは何とかならないか。

それぞれの名所だけが魅力的では足りないのだ。名所と名所をつなぐ道が魅力的になり、散歩が楽しくならなければならないのだ。

そのためには、電柱の地中化を進める。そして、歩道の幅を今の三倍ぐらいにする。自転車道を作って、自転車の町にして、自動車の数を減らす。(と言いつつも、自分はよく市街地に車で行くことが多いのだが)

理想は京都の町が、パリのようになればいいなと思うのだ。しかし、バリの町は、フランスが植民地帝国の時代に、植民地から収奪した富を惜しげもなく都市計画に投資したので、現在のような立派な都市になったのである。旧来のフランス植民地は相変わらず貧しい。さて、資金的には、京都には投資すべきだけの財力はない。

自分の趣味は散歩である。桂川の周辺を散歩するのだが、街並みの貧弱さにため息が出る。狭い道、小さな建物、庭がなくて、ほんの少しにスペースを無理やり車の駐車場にしている。庭がないので、緑がほとんどない。どこの家も庭のスペースがないのだ。

家と家の間は密集で、ほとんど隙間はない。細い貧弱な3階建ての住宅群。見るとため息が出る。なんと醜い建売住宅よ!そして、自分は、情けないことにそんな建売住宅を買うだけの資力がないのだ。あんな家!と、貶しているくせに、そんな家一つも買えない自分の甲斐のなさが情けない。

ところで、京都の市長よ!金がなくてもなんとか工夫して、京都の町を大改造するのだ。オリンピックの年には、京都にも大量の観光客が海外から押し寄せる。今の京都では、国の恥ではないか。

羅生門への入り口

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