今日は京都と岐阜を往復した。運ぶものがあって、京都のアパートと岐阜のアパートを高速道路を使って往復した。とても疲れた。
京都を朝の6時半頃に出発して、9時半頃に岐阜市の繁華街に到着した。そこで、アクアージュ柳ヶ瀬(やながせ)というところを発見した。そこをしばらく散策してから、岐阜のアパートに行き荷物を運び入れた。しばらく休み、それから3時頃に岐阜を出発して、6時頃に京都に戻ったのである。そんなことで、今日は柳ヶ瀬について話してみたい。
アクアとは aqua- (水の)プラス -age (名詞の語尾)でどうやらフランス語をもじって「水のあるところ」というような意味のようである。
タカシマヤの横に小さな通りを見つけた。そこには、水の通路がある。その小さな通りはなぜか彫刻がおいてあったり、小さな運河があったり、噴水があったりしている。そこの名前は「アクアージュ柳ヶ瀬」である。
実は岐阜県、特に岐阜市の特徴は水である。長良川が市内を流れていて、鵜飼いが夏から秋などにかけて行われる。たくさんの観光客が来るのである。
この岐阜市の至る所にかって長良川の支流が流れていた。それらに蓋をして暗渠にして、その上に道路や建物が建てられたのである。その暗渠の一つの蓋をとり、人々の目に見える形にして、水都、岐阜の面影を人々に伝えようとしたのである。
通路に沿って小さな水路があり、水に因んだ彫刻があり、噴水もあって通行人の目を楽しませる。
京都と比べると岐阜県は結構湿度が高くて、特に私の住んでいる近くは霧が立ちこめる。岐阜市=水の都というのは実感できる。さて、歴史書を紐解いてみると、斎藤道三、織田信長の城下町として岐阜市は栄えたのだ。
長良川を交通の通路として、木材や美濃紙、関の鉄器などが商人の手によって運ばれたのだ。織田信長は楽市楽座という制度で各地にあった関所を廃止した。それによって、余計な通行料を払う必要がなくなり、商業が栄えたのである。
「美濃を制するものは天下を制する」と戦国時代は言われたが、現代はどうか。どうやら、中部地区の繁栄の中心は名古屋に取られてしまった。若い人も週末は名古屋に遊びに行くのである。その反面、岐阜市は週末でもひっそりとして、活気は見られない。しかし、このアクアージュ柳ヶ瀬のような地道な努力をしてこそ、観光スポットがいろいろできて人々の集う岐阜市となるのではないか。
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