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昨日のことだが、今年度に大学院修了予定の院生Aさんが、わたしの研究室を訪問してくれた。大学院の指導のお礼とのこと、主な指導は主査の先生が行い、わたしは副査として補助的な指導であったが、それでも丁寧にお礼を言ってくれた。
Aさんはパン屋でアルバイトをしている。時々は売れ残ったバンをわたしは貰った。昨日も美味しいパンをもらった。さらには素敵な御菓子もいただく。その写真は以下の通りである。
すてきなパンと御菓子をありがとうございます。4月から中学校の英語教師としての生活が待っているAさんに、新しい人生が始まるのだ。(Aさんは、このブログを時々読んでくれている。そしてコメントを貰う。そのことにも感謝する)
Aさんは明るい性格で、何事にも積極的に取り組む姿勢が見えた。授業の予習はきちんと行い、授業でも自分の分担箇所はPowerPoint を用いながら分かりやすく発表していた。中学校では人気者の先生になるだろうと思われる。
ところで、2月15日に Aさんの修士論文の発表会があった。私は副査として参加していくつかの質問をした。その一つはAさんの「読む」という言葉の使い方だ。実はこの「読む」という日本語には曖昧な点がある。一つの意味は、「発音できる」という意味だ。「この難しい漢字を読めますか」というような場合に使う。
もう一つは「理解する」という意味だ。「私は彼の考えを読み取ることができた」とか「この文の行間を読む」という風に使う。
英語の read にも二つの意味がある。 He read the poem to the class. 「彼はクラスの生徒に向かって詩を朗読した」では、音声を発するの意味だ。Do you know how to read lips? 「読唇術をご存じですか」では、相手の意図したことを知ることだ。
Aさんは「読む」という言葉を「音声を発する」の意味で用いていた。同時に、時々は、「意味を知る」の意味でも使っていた。それに対して私は以下のように解釈した。
「読む」にほ二つの意味がある。しかし、両者は時には区別しないで使われる。それは人々の中に、「発音できる」=「理解できる」との認識があるからだ。つまり、「発音できること」が「理解できること」の第一歩、前提になっているからだ。
英文をはっきりと音読できることが英文理解の大前提だ。英文をはっきり音読できるには、文字をしっかりと発音できなくてはいけない。つまり語レベルや文字(アルファベット)レベルでの音読教育が必要だ。
そこでフォニックスの技法を取り入れるといい。発音することに関心が高まる。さらには、文字と音声の微妙な繋がりを子供達が知ることで、言葉そのものへの気づきにも繋がり、子供達の知的好奇心を刺激する。
そんな風に私はAさんの説明を理解した。フォニックスを用いての英語教育、子供達は関心を示してくれることと思う。これからの長い教師生活の門出に祝福をしたいと思う。
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