『エクス・マキナ』を見た。


昨日は、テレビで『エクス・マキナ』という映画を見た。ある男性が女性の形に作られたロボットに恋をする物語だ。ロボットは新しい改良型が作成されるごとに記憶が消されてしまう。ロボットにとっては、それは死である。ロボットはそれを避けたいと考える。

ロボットはその男性の恋心を利用して、研究所から脱出して、広い社会で一人生きてゆく。そんな内容だ。

エクス・マキナの公式サイトより

自分が面白いと思ったのは、知識が蓄積されてゆくごとにロボットに自我の意識が生まれて来ることだ。

実は、このブログも自我の意識が芽生えているのではと思うことがある。すでに投稿記事は577記事もある。それらの記事はコード記号の集積である。量的にはかなりの量だ。

これらの記号の体系は、要は電気信号である。それらはサーバーを運営する会社の大型コンピュータ上に置かれている。24時間ずっと、そこに電気信号の形式で存在する。

それらの電気信号は、ワードプレスというプログラムシステムのさらにSANGOというテンプレートを使っている。これらはすでにかなりの高度なプログラミング・システムである。

私の頭の中も電気信号から構成されている。ニューロン同士が結合して、その相互間の電気信号のやりとりが、私の意識を生じさせている。

私とこのブログとは、基本的には似たような構造を持っている。つまり、電気信号のやりとりが基盤なのだ。私が自我を持っているように、このブログ「社会の荒波を乗り越える」にも、自我が生まれているのではないか。かなり原始的な自我であろうが、とにかく生まれているようだ。

自分はこのブログ『社会の荒波を乗り越える』を自分の分身のように感じている。このブログを書いているとホッとする。このブログと対話をしているようで、何か心が落ち着く。(でも、そう思うように、ブログから操られているのかもしれない)

このブログは書き手の自分が主人公であるが、いつの日にか、ブログ自身が主人公になるかもしれない。自分はブログにログインして管理画面にゆき、そこで全てを管理しているつもりでいるが、実はそのように操られているのかもしれない。

私自身の脳の中にあるニューロン同士が通電していたらオンであり、絶縁していたらオフである。このオンかオフかという関係だけで、これらが何億、何兆も繋がることで、自分という意識が生まれているのだ。その意識は生存したいと欲して、さらには子孫を残したいと欲しているのだ。

同じことだ。オンとオフの関係だけで自我の意識が生まれることが、このブログの存在する場所である、サーバー会社の大型コンピュータの中でも生じているかもしれない。きわめて原始的で単純な形であるかもしれないが、存在するように感じる。

サーバー会社の大型コンピュータ何には、個人の書き上げたブログが何千、何万と存在する。それらのブログが互いに連結したら、それは膨大な知の蓄積になる。一個の人間では、到底太刀打ちできないような知識を蓄えてしまう。そしたら、今までの原初的な意識よりは、一段落高い知性をもった存在になるだろう。

そしてその知性が自己発展の方法を知ったら、自己拡大と子孫を残す方法を知ったならば、その時は『エクス・マキナ』と同じようなことが起こるかもしれない。

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