ブロンコビリーというレストランで食事をした。


昨晩は家内と外食をした。場所はブロンコビリーというステーキ専門のレストランだ。昨日は2月15日で年金が支給される日だった。少ない年金額であるが、年金支給日ぐらいは、何か外で食事をしようということで出かけたのだ。

昨日は朝に郵便局に立ち寄る。すでにたくさんの高齢者がATMの前に並んでいた。みんな年金を下ろす目的なのだろうと推測する。何か嬉しそうな顔をしている。私も列に並ぶ。前後の人たちはどれくらい年金をもらうのか想像してみた。私の前の小綺麗な服を着た上品そうな老婦人はかなりの年金を、後ろにいるヨレヨレの服を着た老人は生活にやっとの年金では、と推測していた。

さて、ブロンコビリーだが、中京地区だけのチェーン店だと思う。東京や京都・大阪にはこのレストランはないと思う。

ブロンコビリーのサラダバー

値段が手頃で、またサラダバーが充実しているので、我が家は頻繁にここを利用する。この日は6時前に入店したので、客の数は多くはなかった。

ステーキが出来上がるまで、サラダバーで色々なものを皿に持って前菜として食べる。私は野菜を中心に、トウモロコシ、トマト、マッシュポテトなどを盛り付けて食べる。結構、おなかがいっぱいになった。ステーキはもう要らないくらいだ。

でも、最近は食事の質量に対する要求が質素になってきた。つまり、若い時ほど食べられなくなってきた。本音を言うと、毎晩、白米を一杯、漬物を一皿、味噌汁と、あとは何かオカズとして、納豆か、卵焼きがあればいいと思う。

食べる量が減ってきて、人間としての活動量が減ってきたように思う。鏡の自分を見る。だんだんと父親の顔に似てきた。若い頃は父親と似ているとは思わなかったが、この数年、父親の顔に似てきた。それも晩年の父親にそっくりになってきた。

父親は76歳で、祖父は78歳で逝去した。自分は遺伝子的にそのくらいが寿命なのかなと思う。78歳まで生きるとしたら、あと10年か。少ないな。ちょっとギョッとする。

あと10年の寿命として、最後の2年間はボロボロになってしまい、寝たきりか、杖をついてやっと歩くのだと思う。するとこれから8年間は極めて大切な時間である。自分に許された時間はあと8年間か、大切にしなければと思う。

でも、特にやりたいことはない。旅行もしたくない。面倒だ。美味しい食事よりは簡素な食事を好む。読みたい本はいくつかあるが、すでにたくさん購入しているので、もう新しい本を買う必要もないようだ。

すると、金を貯めるのか。今、貯金はほとんどない。子供の教育費に消えたのだ。貯金か、自分の葬式代ぐらいは用意しなければと思う。ただ、自分はあの火葬が嫌いなのだ。両親の火葬を思い出す。両親の横たわった肉体がガス台の中に入り一時間ほどで焼き上がり骨だけになって出てくる。それは嫌だ。

自分の肉体がガス焼却炉の狭い空間の中に入れられて強い火で炙られる。イメージ的に受け入れられない。自分は土葬を望むのだ。しかし、日本の現在の法律では土葬は認められない。狭い日本では火葬しか認められないのだ。

自分は火葬は嫌いだ。であるから、死期が近づいたと悟ったら、どこか山の中に隠れたい。そして、大木の側に横になり、息絶えたいと考えている。

京都にいた時に、「火葬がいいか土葬がいいか」という議論をゼミ生としたことがあった。あるゼミ生が言うには、「土葬だと土が鼻にかかるので息苦しい感じがして嫌だ」と言っていた。なるほど、確かにそうだ。

そう、自分のイメージとしては、秋の頃に、落ち葉が降りしきる中で、落ち葉の中に埋もれながら死んでゆくのがいい。西行法師に、次のような有名な歌がある。

ねがはくは 花のもとにて 春死なむ その如月きさらぎの 望月もちづきのころ

私も真似て、「願わくば 林の中にて 秋死なむ その霜月の 新月のころ」としてみる。

やはり、林の中がいい。鬱蒼とした照葉樹林の中で(照葉樹林は常用樹なので落ち葉はあまりないのだが)、秋なので霜月とする。西行法師は望月(満月)としたが、私としては明るい時ではなくて、新月の真っ暗な中での方がロマンティックである。

そんなショムないことを朝から考えている。今日は午後は本巣市にあるショッピングモール、モレラに行く予定だ。

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