数字が気になる自分


まず、今日の朝に見た夢を語る。

夢の中で、自分は2時25分に障害児の施設を訪問することになっていた。ふと気づくと、もう2時だ。慌てて手帳を確認する。手帳に書かれたバス停に行こうとするが、バス停が工事で移動していて、見当たらない。ようやく見つけたが、来るバス、来るバス、全部が自分の行きたい目的地ではない。ではタクシーだ、と探すが、それも人が並んでいて、なかなか順番が来ない。これでは間に合わない、と電話を入れようとするが、その番号も見つからない。

リムジンみたいなタクシーが来た。人が乗っている。運転手がこれは「差額タクシー」だと言った。基準額が決まってきて、乗客は目的地に応じて差額の料金だけを払うシステムのようだ。でも、満員で、無理に乗り込もうとした人がなかなかは入れなかった。それを見て自分は諦めた。

そんな時に目が覚めた。「差額タクシー」という言葉が印象に残った。でもこの言葉を聞いたことがなかったので、ネットで調べてみた。が、そんな語は存在しない。差額ベットという言葉はあるのだが。

自分は3つの数字に縛られている。

自分は時間に遅れそうになる夢をよく見る。授業があるのを忘れていて、あと10分で教室まで行かなければならない、などの夢はよく見る。時間と関係するのは時計だ。自分は完全リタイアしたら、時計を真っ先に捨てようと思っている。

次は金という数字だ。頻繁にネットで銀行口座の残高を確認している。また、税金と借金返済の金額の差額や支払いの月日を手帳で確認している。でも、夏ぐらいまでには借金の返済が終わり、気楽になる予定だ。

自分の年齢という数字も気になる。人生の残り時間を計算する。男の平均寿命は80歳だ。あと、10年ほどの持ち時間か。最後の2、3年はボロボロになるだろうから、元気でいられるのは、あと7年ほどか。などと考えると、焦ってしまう。

時間、お金、年齢、この3つの数字に支配されている自分、早く数字の呪いから逃れたい。そんな気がするのだ。

geralt / Pixabay

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