4月の年金が支給された。

今日は4月14日である。4月の年金支給日は15日であるが、明日は土曜日のために、1日早く年金が支給となった。私はゆうちょ銀行の口座に入金するようにしているので、今までは、パソコンを立ち上げてゆうちょ口座にアクセスして、入金を確認していた。ところで、最近はスマホに「ゆうちょ通帳」というアプリをいれた。これならば、パスワードを入れるだけですぐに残高が確認できる。便利になった。そして、朝、調べると確かに○○円ほどが振り込まれていた。

この年金が自分にとっての生命線だ。たしかにまだ働いているのでその分のサラリーは毎月入ってくる。これはだいたい、家内に渡している。そのために、年金は自分にはとても重要なものになっている。なお、それ以外に時々印税がはいる。来週は1万円ほどが振り込まれる予定だ。10年以上も昔に書いた本の印税がまだ、有り難いことに、振り込まれる。段々と少なくなって行くが、それでも印税には感謝している。老いた夫婦が細々とした年金と給与と印税で、細々とした命を長らえているのだ。

次男から電話があった。転職活動に成功して5月から新天地で働くようだ。プログラマーというのは比較的に転職しやすいようだ。東京で、本社は新宿にあるようだ。これで、次男は、京都、大阪、東京都、日本の主要な3つの都市での生活を経験することになる。若いうちにこれらの大都市を経験しておくことは大きな財産になるだろうとも思う。長男も東京で働いているし、次男も東京で、となると、私も東京で仕事を見つけたくなる。

東京も大きく変わったろうと思う。いろいろと見てみたいと思う。特に、神田の古本屋街はまた訪れたい。でも、50年前とはかなり異なったと思う。あの頃は、神田の古本屋を歩くとすべての古本から、地のオーラが漂ってきた。自分が中年、老年となってゆくにつれて、これらの本を理解することができるのであろうか、と謙虚な気持になり、知の世界の広大さに圧倒されたものだ。岩波全書などは、ぞくぞくするほどの権威性を漂わせていた。

だが、今では、ブログやTwitter, YouTubeなどが正確で迅速に知識を提供してくれる。書籍も、あの当時、ワープロがない時代に書いた本は、推敲が浅かったように思える。今は、何度でも推敲して文章を練り上げることが可能になった。昔の文章と比べると、現代の人の文章の方が、読みやすく、分かりやすく、構成がしっかりしていると思う。その意味では、神田の古本屋も昔ほどのオーラはなくなっていると思える。

昔は給料日は本を買うのが楽しみだった。今は、保有する本がありすぎて困ってしまう。私の本の所在地は、研究室、岐阜のアパート、金沢郊外の自宅、能登半島の実家と、4箇所に分散している。これらの本をいつか一箇所にまとめて、自分の小さな図書館を作るのが自分の夢だったのだが、もう無理だろう。

能登半島の実家は自分のお気に入りで、個々を何とか復活させたいのだが、台所は竹が生えてきて、壊れつつある。何とかしなければと思うのだ、何をすればいいのかまったく見当が付かないのだ。堂々巡りだ。何かしなければならない、しかし何をしたらいいのか。本を全部集めて、ゆっくりと読んでゆきたい。もう時間はないな。

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