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昨日、訪問した先生の出版された御本の中に、加茂遺跡の話が出ていたので、今日はお昼頃にそこを訪問してみた。国道8号線の加茂インターの工事中に発見された遺跡であり、奈良・平安時代の水陸交通や地方官衛の実態を示すものである。
本津幡駅横の踏切を渡って能勢方面に行く。すると、国道8号線の陸橋の下にこじんまりした公園が見えてきた。ここが古代の北陸の交通の要所であり、その当時は、大きな運河(溝)や街道が走っていたそうだ。石川県のホームページから下に引用する。
加茂遺跡は津幡町北部の丘陵裾から平野部にかけて位置する縄文時代から室町時代にかけての複合遺跡である。昭和33年に舟橋川の改修工事で発見され、平成12年には国道8号津幡北バイパス建設に係る発掘調査で日本最古のお触れ書きである「加賀郡牓示札」(かがぐんぼうじふだ 重要文化財)が出土し、奈良・平安時代の遺跡として注目されることとなった。
奈良・平安時代には能登へ通じる古代北陸道や、河北潟に通じる運河的な機能をもつと思われる南北2本の大溝が整備され、大溝の両岸にはそれぞれ建物群が展開(北大溝域・南大溝域)し、水陸交通の結節点としての性格が示される。南大溝域には倉庫群やそれを統括する建物が建ち並び、北大溝域には「鴨寺」と記された土器とともに寺院跡が発見されている。
以上の成果から、加茂遺跡は奈良・平安時代において、駅路や小型倉庫群の管理など多様な業務を分掌する実務的な地方官衙と推定される。このような地方官衙の具体例は、全国でも報告されていない。特に考古学的調査を通して遺跡が古代北陸道と一体的に消長していることが明らかにされているうえ、木簡等文字資料にも恵まれ、奈良・平安時代の水陸交通及び地方官衙の実態を把握しうるきわめて重要な遺跡である。
私はそこに行って、しばらく眺めていた。この日は暑い日で、橋の下の日陰に立って古代のこの地の有様を想像していた。写真を何枚か撮ったので、下に示す。
このように何気ない場所にも古代のロマンをうかがわせる場所がある。今でこそ、自動車道の下の殺風景な場所だが、千年前は、荷物を積んだ船や、旅人が行き交う情緒あふれる場所であったと考えると何か面白い。
岐阜県を紹介するサイトを立ち上げたのだが、今度は石川県を紹介するサイトも立ち上げたいと考えている。自分はこれからは岐阜と石川を頻繁に往復するのであるから、せっかくなので、写真を撮り、どしどしサイトにアップしたいと考えている。
昼は近くのスーパー内の食堂で高山ラーメン(490円)を食べた。高山ラーメンは高山が発祥の地である。高山のラーメンがここ石川県でも売られているとはかなり知名度が高いようだ。
実は、岐阜にも高山ラーメンの店がある。知名度は日本全土に広がっているのか。来週の終わり頃に一回岐阜に行く予定だ。その時に、高山と飛騨を訪問したい。高山市は古い町並みを、飛騨はアニメ『君の名は』の舞台となった場所を訪問の予定だ。もちろん、高山ラーメンをも食べる予定だ。
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