オタマジャクシたちの将来を憂う。


数日前だが、職場に向けて歩いていた。田んぼのオタマジャクシがなんとなく気になる。そこでしゃがみこんでしばらく観察をしていた。必死で生きているオタマジャクシを見つける。写真を一枚。

田んぼのオタマジャクシ

写真の解像度は粗いがオタマジャクシがいるのが分かるだろうか。彼らは私が近づくとバタバタと水しぶきをあげながら動き回る。つまり捕食されると思って、逃げているのだ。

ただ、彼らの生存率は高くはない。カエルまで生育できるのはわずかである。

稲作の時には、途中で中干しという水を抜く作業をする。それは稲の根があまり強く貼らないようにするためだが、その時にはオタマジャクシは多量に死んでしまう。運がいいオタマジャクシは、水たまりに潜んだりして生き残る。

水を張ると生き残ったオタマジャクシは元気になりカエルへと成長する。ただ、最近は用水路もコンクリートで固められてカエルたちは用水路に一旦落ちてしまうと、もう上がれない。カエルは肺呼吸であるから、用水路から逃れられないと、息絶えてしまう。

コンクリートに固められた用水路

自分が小学生の頃の田舎の田んぼは全て土のままだった。用水路は様々な生き物がいた。メダカもたくさんいたのだ。それらは息絶えてしまった。あの様々な小動物はどうなったのか。

小学生の頃のトイレはボットン便所だった。ハエが卵を産み、ウジ虫で一杯だった。食事時になるとたくさんのハエが飛んできて大変だった。しかし、田舎でも全てのトイレは水洗となった。蚊の幼虫の住みそうな水たまりは蓋がついた。もう、田舎でもハエも蚊もいない。

田舎の道は泥んこだらけの道だった。歩くと足が泥だらけになった。しかし、今は田舎のどんな小さな道までも舗装されてしまった。

これは驚異的なことである。しかし、風情がなくなったのも事実である。オタマジャクシにとっても、生きにくい世の中になったのだ。今は田んぼ自体がなくなろうとしている。

田んぼを作る人は高齢化して次第に水田は放棄されてゆく。数千年に渡って続いてきた水田とカエルの共存関係が消えようとしている。これでいいのか。

自分はこんな急激な自然の模様の変化には危惧を感じるものである。進化、進歩もいいが、もう少し、ゆっくりと、あまりに進歩が早すぎて目が回ってしまう。

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