実家の片付けを始める。


今日は朝は少々の雨か。でも、実家の不要品の片付けを本格的に始めることにした。自宅から車で40分ほどのところにある。能登半島の真ん中にある。中能登と言えるだろう。さて、どの様に片付けるか。

実家に行く。台所から見てゆく。茶碗やグラスは汚れていてもう使えない。洗えば、使えるのだろうが、とにかく実家にも岐阜のアパートにも茶碗やグラスは沢山ある。すべてを捨てることにする。壊れた電気釜、ストーブなども捨てることにする。

衣服も捨て始める。母親と父親の衣服は何となく思い出があり、捨てがたい。両親の形見の品を捨てるのは寂しいが、とにかく片付けなくてはいけない。父親が亡くなったのは15年ほど前、母親は3年ほど前に亡くなった。それ以来、何も片付けていないので、せっせと片付け始める。

8箱ほどにまとめる。台所はちょっとすっきりした。でもまだまだゴミが多い。それから、テレビと洗濯機と冷蔵庫とエアコンは持ち込みができない。専門の業者にお願いして引き取ってもらう必要がある。どの業者にお願いするか、ここまで取りに来てもらうのか、お金がいくらぐらいかかるのか。ちょっと分からない。調べなければならない。

今日は不燃物などは金沢郊外のクリーンセンターに持ち込むのだが、今度は実家の近くのクリーンセンターに持ち込むことにしたい。ただ、実家近くのクリーンセンターでは、不燃物と可燃物は持ち込む場所がかなり離れている。この点は面倒くさい。

実家の片付けは、結局は、実家をどの様にするかという点に関係する。我々の生活にどのように関係するか決めなくてはいけない。自分としては、生活の半分以上をここに住みたい。しかし、家内はここは田舎過ぎると言って敬遠気味だ。子どもたちも「実家には愛着はない」と言っている。私の代で廃屋になるのかな、と溜息がもれる。

母親が介護施設に入ったとき以来、実家の電気と水道は止めてある。であるから、人が一泊することはできない。自分が自ら泊まるようになってから、本格的にどことどこを補修すべきか分かってくる。どこに隙間があり、冬にどこからすきま風が入ってくるか、分かってくる。

畳もよごれているので換えたい。台所や風呂も換えたい。家内に言わせると自宅の台所や風呂の取り替えの方が先だと言う。とにかく、先立つもの、お金が必要だ。

ところで、今日は風呂を沸かして入った。実は岐阜のアパートでは、風呂に入ったことはなくて、いつもシャワーを浴びるだけだ。岐阜のアパートの風呂は狭くて、窓がない。まったく閉鎖的な密室なのだ。しかし、自宅の風呂場は広くて、さらに大きな窓があって開放感がある。

考えることは、早く完全リタイアして自宅の風呂場でのびのびと湯に浸かりたい、とのことだ。岐阜のアパートでは、時間に追われて、本当にシャワーも大急ぎで浴びるだけだ。あと、何年の仕事か。時を数えるのだ。

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