2016-04-07
今日は結構強い雨であった。完全に引退した身分ならば、雨もロマンティクで楽しいが、職場に行かなければならない身分ならば、通勤の邪魔になる雨はストレスの対象となる。
岐阜県は湿気の多い県であると聞いたことがある。水と岐阜県はゆかりが深いのかもしれない。地元の人に水道水は飲めるかと聞いたら問題ないとのことである。なんでも長良川の上流から水を採取していて澄み切った水だと教えてもらった。
また、勤務校は水は井戸水を使っているそうだ。学校の食堂は井戸水を使って調理をしているのだ。それで井戸水は味がまろやかで美味しいという感想だ。長らく京都にいた人間にとって、水道水は飲めないという印象を持っていたが、そうではない地域もあるようだ。
さて、車でドライブしてみると山々は霧がかかっているところが多い。霧がかかっている神秘的な感じがする。適当なところで写真を撮る。しかし、電線があったりでどうも写真としてはイマイチである。
人間は肉眼で見るときは、電線の存在を無視して見ることができる。電線の存在に気づかないのだ。しかし、写真は客観的に全てを写しとる。それゆえに、写真では邪魔な部分がやはり残る。このあたり、人間の認知能力の高さに驚嘆する。絵画の方が人間の認識に近いであろう。つまり、人間の観察に引きつけて自然を解釈し直すのであるから。
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