視力が衰えてきた。


昨日、廊下を歩いていたら、遠くの方に二人の学生がいる。どうも、私の方に手を振っているようだ。何か、私の名前を呼んでいるようにも聞こえる。

ところが、誰だかよく見えない。廊下もやや暗い。もしかしたら、ほかの人に手を振っているのかもしれない。かなり近づいてみると顔が見えてきた。そーう、私の授業を取っている学生だ。

驚いたのは、あんなに遠くからでも人を認識することができる学生の視力だ。私の視力では、あんな遠い距離からでは人の認識は難しい。自分の視力が衰えたことを痛感する。

学生には、「ごめんなさい、もう視力が悪くて、ちょっと、誰だか分からなかった。でも、二人とも元気そうで何よりだね」と言ってみたのだが、内心、自分の視力の衰えは困ったものだと感じた。

廊下(ろうか)を歩いて、自分の老化(ろうか)を痛感する、とダジャレを言ってみる。

遠くは見えない。近くもよく見えない。メガネを変えればいいのか?そもそもメガネ自体が苦手になってきた。家の中では、メガネを外すことが多くなってきた。光景はぼんやりしてくるが、生活に特に困ることはない。

朝、起きたら、冷蔵庫の中を開けて、りんごの皮をむいて、パンにチーズをのっけてトースターで焼く。特に細かい作業でない限りは大丈夫だ。

ただ、本を読むのが難しくなってきた。むかし買った本を見ると、よく、こんな小さな文字の本を買ったな、と驚く。今、本を買うときの一番の決め手は文字の大きさだ。大きな字で印字されてあると、ゆったりとした気持ちで読める。

でも、せいぜい1時間の読書が限界だな。日本語だと1時間、外国語だと30分が限界だ。それ以上だと、目が疲れてくるし、また、眠くなる。

自分の年齢から判断して、本がまったく読めなくなる日がくることを考えて、オーディオブックを買い集めようと考えている。相当年を取っても耳を通して本を楽しめるのではと考えている。

あと、何年働けるのか?完全引退したら、毎日、ソファに横になり、大きな活字の本を眺める、飽きたら、近所を散歩する。途中で近所の老人と出会ったら、30分ほど昔話をする。手帳、時計、スマホ、メガネなどは捨てる。

でも、ブログは続けたい。家にパソコンをおいて、毎日、ぶつぶつと発信していたい。

MabelAmber / Pixabay

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