ふとある女子学生のことを思い出した。


ふとある女子学生のことを思い出した。その学生は私のゼミ生であった。今から10年以上も昔の話だ。彼女と会話をしていた時に、「私は昭和生まれだ。これがもう少し遅れていれば平成生まれになれたのに」と残念がっていた。

どうやら、昭和生まれと平成生まれでは与える影響はかなり異なるそうだ。昭和生まれだと「おばさん」というイメージだが、平成生まれだと「若々しいピチピチギャル」というイメージがつくそうだ。

私は20歳そこそこのゼミ生がそんなことを考えるなんて可笑しいと思った。若さの絶頂にあって、青春を謳歌している娘さんでも、昭和生まれというイメージを嫌うのかと首を傾げたものだ。

そのゼミ生は教員になったが数年して退職した。他のことをやりたいと言って(多分、航空会社関係だったか?)、専門学校に入り直すのだと連絡をもらったことがあった。

そのゼミ生は俗に言う「自分探しをしていた」女性であった。海外で留学をしたり、講習会に通ったりと自分の適性を探し続けていた。

卒業してしばらくは近況報告の連絡をもらったが、そのうちになくなり、ラインの登録も消されていた。さて、今どうしていることか。彼女は30歳を越しているはずだが。

これから、あと一週間で新しい元号になる。令和である。そのゼミ生は、昭和、平成、令和と3つの時代を生きることになる。そして、まだ30歳そこそこなので、次の元号の時代も生きることになるだろう。

ずっと自分探しをしていたゼミ生だが、探している自分を見つかったのか。一生追い続けるかもしれない。

話題は変わるが、平成最後の年の4月生まれの女の子たちは、もう少し遅く生まれていれば自分は令和生まれになれたのにと残念がるかもしれない。20年ぐらい経てば、平成生まれは「おばさん」で、令和生まれは「ピチピチギャル」のようなイメージが生まれるかもしれない。

sasint / Pixabay

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