2016-05-13
自分が教えている学生から大学の裏山を越えて通勤すると近道になると教えてもらった。それで、朝、やや早めに家を出て、だいたい、このあたりだろうと見当をつけて歩く。自分の居場所が分からなくなり、不安になったので、スマホで位置確認しようとしたが、自分は何か別のボタンを押したのか、うまくマップが機能しない。スマホは諦める。
さて、農家の横を通っていく。学生からは車で通れるような道だと聞いていたのだが、どうもそれにしては狭い。無理矢理登っていくと、こんなところに出た。
これは間違った道だと思って引き返すことにした。実は岐阜のこのあたり、自分には『徒然草』の世界ではないかと思う。数年前は、夜になると酒を飲んで、『徒然草』を読むのが習慣だった。『徒然草』の舞台背景は京都である。しかし、京都はほとんどが宅地化されて、電信柱やコンクリートで固めた水路だらけになってしまった。あるのは、コンビニ、イオン、老人ホームばかりだ。散歩しても楽しくない。
しかし、岐阜は鄙びたところが多くて、数百年前の日本がこうであったのではと思わせるところが多い。また、岐阜のこのあたりは霧が多くて、これはロマンティックな気持ちにさせる。
この山道を歩いていたら、ふと『徒然草』の「神無月のころ」の一節を思い出した。
神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ることはべりしに、はるかなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり。
来栖野というところはこんな所ではと思った。古めかしい庵にでも出会いそうな所だった。この小道はどこに続くのか、面白そうだが、今日は引き返して職場に向かう。
そして、途中でサギを見つける。近くによって写真を撮ろうとすると、不思議とシャッターを押す直前になるとどこかに飛び去る。そこを追いかけてさらに撮ろうとするのだが、最終的には何とか撮ることができた。
サギは一生懸命に魚かカエルを探しているようだが、この水路はコンクリートで固められて小動物が棲むには適さない所になってしまった。サギよ、他をあたってくれ。
なお、奥のコンクリートの台座はこれから高速道路が建設されるそうだ。日本中が高速道路になるのだ。もう、日本には秘境は存在しないのだ。
コメントを残す