人工的な都会と自然が一杯の田舎


新しい時代になったのだ。令和という時代だ。どんな時代になるのか。

昨日、珍しく妹と電話で話をした。妹は東京に住んでいる。今度の連休でフロリダのデイズニーランドに行く予定だそうだ。飛行機代も高騰しているこの時期、家族でアメリカへ行ける財力を羨ましく思う。

妹との会話で、妹は「都会に住み慣れたので田舎には住めない」と言った。人工的な環境に住み慣れている。一方、私はまだ岐阜のこの田舎で田んぼに囲まれたアパートに住んでいる。職場にゆく時は、季節の変化を味わいながら歩いてゆくのだ。

人工的な環境にいると季節の変化が人工的なイベントとなる。クリスマス、バレンタインデー、母の日など西洋の影響を受けた行事が増えてくる。都会の人は、ショッピングモールに行ったりして、母の日は何を送ろうかなどと考える。それが楽しみになるのだ。

都会的な環境にさらされている妹は、ディズニーランドという人工的な構造物の中でも安らぎを味わうことができるようだ。

田舎に住んでいる人間は、季節の変化にさらされる度合いが強い。電車や車で通勤する人よりも、徒歩で通勤する人は、温度の変化に晒されやすい。寒く慣れば、厚着をしてマフラーを巻く。暑く慣れば、ネクタイなどは到底無理だし、半袖の軽装となる。

自然の環境にさらされるのは楽しい面もある。でも、現代人にとっては辛い面が多いだろう。真夏の40度近い炎天下で歩くのは辛い。寿命が縮まる思いがする。

野良猫は、七年ぐらいの寿命だが、飼われていれば寿命は二、三倍は伸びるそうだ。同様に都会人の方が長生きをするかもしれない。

さて、今日は少し雨が上がった。これから散歩して自然と慣れ親しむ予定だ。

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