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台風はようやく去った。石川県の実家はどうなったか心配だが、親戚から何も電話がないので、無事であったと信じたい。窓ガラスなどは割れていないだろうな。
さて、今日は久しぶりに歩いて職場までゆくことにした。暑い日が続いたので片道1時間の通勤は苦しくて、このところ車を使ってばかりいた。でも、今朝はちょっと涼しかったので、徒歩で学校まで行くことにした。
晴れて爽やかな朝だ。一歩踏み出す。台風の傷跡があちこちに見られる。壁が剥がれたり、屋根が飛んだ建物がある。
ふと足元をみる。蛇が潰れている。どうも車にひかれたようだ。写真に撮ろうかとも思ったが、読者は気持ち悪がるだろうからそれはやめる。
しばらく蛇を眺めている。この蛇は生まれてきてから、やはり蛇という生物体としての幸福を追求する権利があったのだ。これからもっと沢山のカエルを捕まえて食べたり、異性の蛇と出会って、卵を10個も20個も生む可能性があったのだ。しかし、それらの可能性は全て断たれたのだ。などと考えながら、蛇の亡骸を見ていた。生命の神秘と儚さについて思いを巡らす。
そして、しばらく歩くと、今度は、毛虫がいた。真ん中に赤色の線があってちょっと神秘的な色彩だ。これはまだ生きている。車に轢かれていない。思わず、近寄って写真を撮る。しばらく眺める。
自分に昆虫学の素養があって、この毛虫が将来どのような蝶になるのか知識があればと願う。
さて、この毛虫だが、こんな道端でウロウロしていると自動車に轢かれてしまう。それで、木片を拾って、この毛虫をつまんで、近くの草原まで運ぶ。そして、そこに静かに置く。どうか、もう危険な道路までくるな、そして、この毛虫が無事に蝶になれますように、と祈った次第だ。
ところで、学校まで行くと、学校全体が停電だ。近くの交通信号も止まっている。台風の傷跡は深しだ。研究室に行くが、エアコンは入らない。パソコンも使えない。早々に引き上げることにする。
1時間ほど歩いて職場に来て、さらに1時間歩いてアパートに戻るのは辛かった。太陽が出て、あせもたくさん出て苦しかった。
今朝の自分は一体何をやったのか。蛇と毛虫を眺めて、しばし詩的瞑想にふけっただけなのだ。でもこんな午前中も悪くはないな。
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