学生研修旅行(岩村、うだつ)に行く。


昨日は、12月1日で暦の上では冬になった。やや寒い日であったが、真冬の寒さではなくて、研修旅行には、まあまあの日であった。

学生の研修旅行で恵那市の岩村、と美濃市の「うだつ」の町並みを観光研修した。さて、朝の8時45分に学校の駐車場に集合する。大型パスがくる。早速、みんなで乗り込み、出発だ。

10時15分ごろに岩村の岩村振興事務所に到着する。ここで降りて岩村の町並みを見学するのだ。70歳代の男性のガイドさんがいて、色々と説明をしてくれた。

ガイドさんの説明

この街は、岩村城というお城があった。霧がよく出て城を隠すので、「霧が城」と呼ばれることもあった。霧のために、敵が城を攻めてこれないようになる。さて、織田信長、武田信玄の間での戦の話をしてくれた。岩村城は明治になってから廃城令で壊されて今は廃墟だけ残っっている。

この岩村には三人の優れた偉人が出たそうだ。一人は佐藤一斎である。この人の言葉、『言志四録』は教訓がたくさん散りばめられていて、街のいたるところにその教訓が木札に刻まれて掲示されているのだ。その第60条に以下の文言がある。

少(しょう)にして学べば、則ち壮(そう)にして為すこと有り。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。

これは、小泉純一郎元首相が教育関連の法案の質疑応答の時に述べてから有名になった語句であり、そのこともあって、岩村の地と佐藤一斎は有名になった。

先日、佐藤一斎の生誕150年記念の行事が行われた時に、小泉元首相はこの地を訪問して、街の人と一緒にお祝いをしたそうである。

もう一人の優れた偉人は上田歌子という人だそうだ。幕末の頃の人で、女性は藩校に入学できなかったので、独学で学問を学んだ。最終的には宮内庁に勤めて、また女子教育にも関心を持ち、実践女子大学を作った人である。

もう一人の偉人は、三好学という人で、植物学を学び、天然記念物という概念を日本に広めたそうだ。

そんな話をガイドさんはしてくれた。どうやら地元のボランティアの方のようだ。退職後は観光ガイドのボランティアの仕事をしている方と推察する。

朝ドラのシーンより

この街は、NHKの朝のドラマ『半分、青い』の舞台になったところだ。実は私は朝ドラは見ない。それでそのような番組があったことも知らなかった。とにかく、ガイドさんの案内に従って歩くと、この地のこの部分が、ドラマのあの部分のロケ地などと詳しく教えてくれた。朝ドラの放映があった時は、観光客がこの地に詰めかけたそうである。

舞台となった町並みを歩く学生たち

ロケ地を歩く

「女城主」の話もガイドさんはしてくれた。岩村城の城主が亡くなり、幼くして継いだ新城主の後見役として織田信長のおばさんに当たる人「おつや」が城と街を守ったのだ。しかし、のちになり、信長のために、彼女は逆さ磔にあって処刑される。

次は染物の家を見学する。現役で、まだ、稼働している家だ。

染物

さて、それからバスに戻り、次の目的地である「うだつ」に向かう。学生たちがバス中で、ゲームをしてくれた。

バス中の学生たち

ゲーム(似顔絵書き)の司会者二人

うだつの街は、なんで有名なのか。金持ちになると、屋根の上に「うだつ」を作る。それだけの金の余力がないと、「うだつ」をあげられない。「うだつが上がる」という表現の源は、この街の「うだつ」が元だったのだ。

屋根の上にあるのが、うだつ、である。

さて、町並みを歩く。おもしろい掲示を見つけたので写真を撮る。

人生を生きる教訓のようだ。

腹八分、何事もほどほどに、このあたりの言葉が私の胸に突き刺さる。

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