七尾市の「明治の館」へ行く。

2016-09-01

私の実家の近くに「明治の館」という記念館がある。これは、江戸時代から続く豪商の館である。江戸時代は組頭や庄屋をつとめ、さらには回船問屋、酒造業を営んだ家である。タヌキの亡骸を片付けた後、一息つく意味で、そこに寄ってみた。以前、たしか、20年ぐらい前に、外国人を連れてここを案内したことがあった。2回目の訪問である。

七尾市のホームページには「明治の館」について、以下のように案内がある。

江戸から明治にかけての豪農、室木家の屋敷。明治12年から10年かがりで造られた、豪壮な合掌組入母屋造りで、当時の豪農の生活を知る貴重な遺産。一般にも開放しており、見学のほか、お茶会などの場として利用することができる。

江戸時代から代々続く豪商であり、その家から二代つづけて衆議院議員になった。そのうちの一人の室木彌次郎氏のブロンズ像がある。さらには、同氏の京都帝大卒業証書、小学校、中学校での卒業証書などもある。

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入り口である。入場料は300円である。

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入り口を裏手からみる。

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持ち主の子孫は今、名古屋に住んでいるそうだ。現在は館を七尾市に寄贈している。七尾市が管理している。

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この人は京都大学の法学部を卒業して、衆議院議員になった。そして判事や弁護士などの仕事をする。地元の名士であった。

このブロンズ像の主は、室木彌次郎氏である。下は、ブリタニカの辞書である。あとドイツ語の本もおいてあったりで、この地方では同氏は大変なインテリであった。私の母が何故か、女学校に行っているときに、ある日、ここのお嬢様と間違えられたことがあったそうだ。こんな大金持ちのお嬢様と間違えられたとのことで、母もまんざらでもない気持ちだったようだ。

この室木彌次郎氏のことは、村人たちは、京都帝大卒の偉い方、という感じで仰ぎ見ていたようだ。当時、大学に行く人は秀才で、プラス資力がなければならなかった。こんな田舎から大学へ行くこと自体、大変に難儀なことであった。当時の貧乏な秀才は、師範学校か軍隊の学校(陸軍士官学校、海軍兵学校)へ行った。学費が無料だったのである。

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台所

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室木家の人々が使った教科書がある。当時は粗末な紙に印刷したのであり、それでも向学心の若者たちは一生懸命に勉強したのであろう。

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当時の名士の屋敷の内部をみることができる。これだけ広いと召使いの人も必要だったろうと思われる。これだけの屋敷や召使いの人を雇うだけの資力は現代ではかなり難しい。そんなこともあり、子孫は名古屋に移り、この屋敷は七尾市に寄贈して、七尾市が管理している。

管理人の女性に聞くと、平日は訪問客は数名だそうだ。お盆などは数十人ほど訪れることもあるそうだ。管理自体は赤字だろうが、七尾市はもう観光しか生きていく道はないと思う。

自分も完全退職したら、ここで村おこしの仕事をしてもいいかなと思っている。

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